牙を抜かれ、吠え方を忘れたか

『報道の自己規制 メディアを蝕む不都合な真実』(上出義樹
 リベルタ出版)読了。

「人動(やや)もすれば、私を以て、言いたいことを言うから、
結局、幸福だとする。だが、私は、この場合、言いたい事と、
言わねばならない事とを区別しなければならないと思う。」

反骨のジャーナリスト・桐生悠々はこう書いた。太平洋戦争下、
大本営発表を垂れ流す報道機関と一線を画し、どれほどの圧力を
受けても、生涯、言わねばならないことを言い、書かねばならない
ことを書いた。

敗戦後、日本の報道機関は戦争の実際を伝えなかったことを反省し
たはずだった。しかし、いつのまにやら権力を監視するはずだった
番犬は牙を抜かれ、吠えることを忘れた。

森友学園の籠池夫妻が家族との接見も許されず検察によって4カ月
も身柄を拘束されていることを大手メディアは報道しない。

沖縄・辺野古で基地建設に反対して座り込みをするおじいやおばあが
機動隊により強制排除されている映像をテレビは流さない。

安倍晋三の提灯本を書いた自称ジャーナリストによる女性に対する
暴行事件にだってだんまりだ。

その反面、大相撲の横綱日馬富士の傷害事件に関しては朝から晩
まで、どのテレビ局も同じ内容を繰り返し垂れ流す。

そんなことより、先の衆院選自民党が公約として掲げた幼児教育・
高等教育の無償化などが既に反故にされようとしていることに対する
批判、有効求人倍率や賃上げに関する政府の恣意的な数字の用い方の
暴露をすべきなんじゃないのか?

権力の監視どころか、権力におもねることが優先されていやしないか。
否、確実に優先されている。高市早苗総務大臣の時に放送局の電波
停止に言及したように、権力側からの締め付けばかりを気にして、
報道しやすいことばかりがメディアに溢れている。

メディアの自己規制はメディアを殺す。映像だろうが活字だろうが
同じだろうと思うわ。

本書では日本特有の記者クラブ制度や公共放送であるNHKの政権に
対する過度の忖度、福島第一原発事故の際の発表ジャーナリズムの
問題点等を詳述し、蔓延する自己規制について検証している。

博士論文をベースにしているので少々文章は硬いが、図表も豊富なので
問題点が分かりやすい。

メディア内部の記者にしたら「伝えたくても伝えられない」という
メディア内の事情もあるんだろうね。きっと、こういう記者の人は
悔しい思いをしているんだろうな。

まぁ、メディアのトップたちが政治家のトップと頻繁に会食している
現状では「報道すべきことを報道する」なんて無理かもしれないわ。