昭和史の大家の集大成か

今度は秋田県で大雨。母の実家の近くだったので心配していた
のだが、いとこに電話をしたら周辺は大丈夫とのこと。

取り敢えずダムのあるところに降ってくれないかな、雨。

ナショナリズムの昭和』(保坂正康 幻戯書房)読了。

700ページ超の大著である。「ナショナリズム」をキーワードに、
昭和史を分析しているのだが、私の頭が内容の濃厚さに追い
つけずに人物や事件を何度調べ直したことか。

ナショナリズム」の定義は様々あれど、保坂氏は上部構造の
国家ナショナリズム=支配階層主導の国権の守護・国権の伸長・
国威の発揚とし、下部構造の共同体ナショナリズム=郷土愛・
愛国心、民衆の生活倫理や規範・自然との共生・伝統文化継承・
死生観として分けて考えることを前提としている。

上部構造と下部構造の間に明確な線引きがあったはずなのだが、
それが太平洋戦争へと進むと恫喝と甘言によって下部構造を抑圧
して飲み込んで行った。

昭和初期から戦後は勿論、平成に至るまでを分析しているのだが、
やはり戦前・戦中・戦後を通して、昭和天皇という方はどんな政治家
よりも政治家であったのだと改めて思う。

2.26事件の詳細な分析、事件後に台頭した新統制派による思想なき
暴走、問題となった田母神論文は気持ちいいほどのぶった斬り。結局、
田母神氏も、大作家・百田尚樹センセイと一緒で「雰囲気保守」なんだ
よな。

そして、安倍晋三歴史観にも触れているのだが、この人は祖父で
ある岸信介劣化コピーでしかない気がして来た。保坂氏はきちん
と分析しているのだが、私には安倍晋三がしっかりとした歴史観
あるとは思えないんだよな。

日本は何故、戦争に向かったのか。そうして、何故あの戦争に負けた
のか。ここをきちんと検証しないままに過ぎてしまったことに過ちが
あるのではないかと思う。

加害者として、敗者としての歴史をちゃんと把握しておかなければ
いけないんだよね。「敗戦」を「終戦」と言い換えることで、何かを
誤魔化して来たんじゃないかな。