紅葉林から生まれた朱

「流れは止めない 継続こそ力!」

自民党・大西ひでおセンセイの公式サイトにこんなキャッチフレーズが
書いてあるんだけどね。「暴言は止(や)めない」の間違いなんじゃないだ
ろうか。

もう議員辞職しろよ。

『朱の記憶 亀倉雄策伝』(馬場マコト 日系BP)読了。

すいません。昨日の日記で「朱」を「種」に裡間違えてました。(__)

大きな朱色の丸、その下には黄金の五輪マーク。そして、同じく黄金の
「TOKYO」と「1964」の文字。

戦後の復興を世界に示す為に1964年に行われた東京オリンピック
エンブレムだ。デザインしたのは日本を代表するグラフィックデザイナー
亀倉雄策。本書はその亀倉氏の評伝である。

ひとり、亀倉氏のみの話ではなかった。日本のグラフィックデザイン
どのように発展して来たかのお話でもあった。

始まりは現在の東京都武蔵境市にあった亀倉氏の自宅近くの紅葉林。
少年の亀倉氏が出会ったのは「シモンちゃん」と名乗る男の子。シモン
ちゃんの遊び相手をするうちに、その父親の知己を得る。

イタリア文学者の三浦逸雄。「シモンちゃん」は後の作家・三浦朱門
ある。

グラフィックデザインがまだ「図案」と呼ばれていた頃、それは画家が片手
間にやる仕事だったが、画家になる気のなかった亀倉氏は三浦逸雄の
影響もあり、最初から図案家を目指した。

時代が亀倉氏に添ったのか、亀倉氏が時代に添った生き方をしたのか。
きな臭い戦中も対外プロパガンダの為のグラフ誌「NIPPON」のデザイン
に係わり、デザイナーとしての腕を磨いた。

それが戦後に生きて来る。1964年の東京オリンピックのエンブレムは
勿論、大阪万博札幌オリンピックのポスター、NTTや旧リクルート
ロゴマーク。様々なデザインを手掛けている。

亀倉氏を取り巻く人たちも多彩だ。写真家の土門拳、写真家であり編集
者としても抜群の感覚を持っていた名取洋之助、「NIPPON」と並ぶ対外
プロパガンダのグラフ誌「FRONT」のアートディレクターを務めた原弘、
資生堂のデザイナー山名文夫

日本のグラフィックデザインの黎明期を支えた巨人たちの名前が次々に
出て来る。一応、専門学校でデザインを学んだ身としてはタイムスリップ
したくなるくらいだった。ただし、私は棒人間しか描けないんだが。

熱い時代だったのだなと思った。デザインは「企業の理念」「商品の真の
価値」等を表現するものである。だから、東京オリンピックのエンブレムも
シンプルでありながらインパクトがあったのだと思う。

「不幸のすべてはなぜ二〇二〇年に東京でオリンピックを開くのかの大
義が明確でないまま、オリンピック開催だけが決まったことだ。デザイン
は本来その大義の象徴に過ぎない。確かにデザインには、誰も気づいて
いない物事の核心を突き、その本質を端的に視覚化することで、万人が
共有する新しい価値観、大義を創造する力もある。」

2020年東京オリンピックのエンブレム騒動に触れて、著者は「あとがき」
で記している。1964年東京オリンピックには大義があり、開催する価値
があった。だからこそ、あの朱のエンブレムは今でも色褪せないのだろう。

表現者としての亀倉氏の仕事の数々も素晴らしいが、親交のあった江副
浩正氏がリクルート事件の渦中に会った時に、江副氏が行った巨額の
政治献金に対する亀倉氏の発言がまたいい。

献金したって政治はよくならない。それがあなたと堤清二さんの違いだ。
堤さんは派手に政治献金などしない。その代わり、文化に対しては大いに
献金した」

「経営とデザインの一体化」は、亀倉氏が目指したものでもある。それを
実践した経営者がセゾン・グループを率いた堤清二氏だったんだよね。

あぁ、私にデザインの才能があったらよかったのに。でも、才能がない
からこそ、亀倉氏のような「絶対表現者」を尊敬できるのかもしれない。