撮影対象に向ける視線の優しさ

政府の予定通りに共謀罪衆議院を通過した。

イギリスには1977年から共謀罪がある。でも、テロは防げていない。
アメリカにも、フランスにも、共謀罪に準じる法がある。イギリス同様、
どちらの国も防げてないんだよね。

『フォトジャーナリスト 長倉洋海の眼 地を這い、未来へ駆ける──』
長倉洋海 クレヴィス)読了。

また写真集を買ってしまった。しかも私の書庫には長倉洋海氏の写真集
は何冊もあるし、パラパラとページをめくるとこれまでにも目にした写真が
多かった。

それでもやっぱり手元に置いておきたいと思ったのは、カバーに使用され
いる写真から伝わって来る躍動感と、最初の見開きに掲載されていた
アフガニスタンの戦士マスードの写真に魅了されたからだ。

長倉氏の作品はマスードを知るきっかけにもなった。それだけではない。
エルサルバドルの内戦やアパルトヘイト廃止後の南アフリカ、アマゾンで
暮らす部族、極寒のサハ共和国などへ、私を運んでくれた。

対象にカメラを向けるだけではない。出会った人たちとの絆を深めながら
撮られた写真だからこそ見る者を惹きつけるのだろう。

だから、私は長倉氏の作品が好きだ。子供たちや労働者、貧困の中でも
逞しく生きる女性たち。みんなが輝いている。その輝きが1つのシーンと
して、写真に残される。

勿論、戦乱を写し取った作品もある。遺体の並んだ作品もある。世界は
残酷だ。でも、美しく、逞しく、人々はその場所で生きている。

コソボで家を失った家族が、新たな家を建てる過程を撮影した一連の
作品は何度も見返してしまった。

掲載されている作品すべてから、途轍もない力を感じると同時に、長倉氏
がカメラの向こう側に向ける優しい視線を感じた。

この写真集も永久保存版だ。またきっと、近いうちに取り出して眺める
はずだからいつでも取り出せるところに置いておきたい。