最後の男、カリブの島に眠る

「機密情報を報告しなかったのなら、ラブロフ外相を叱らなきゃ
いけない」

弾劾されそうなトランプ大統領を尻目に、プーチン閣下は超余裕
なんですけど。

きっとラブロフ外相と一緒にほくそ笑んでいらっしゃることだろう。

『108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎』
(中野健太 講談社)読了。

キューバ本島西部南岸のバタバノ湾から南西に約100Km。「青年の
島」との意味を持つフベントゥ島の老人ホームに、その人はいた。

島津三一郎さん。現在の新潟県新発田市の出身。太平洋戦争以前
に農業移民として20歳でキューバへ渡った。

お金を貯めて日本に戻る。アメリカやカナダ、ブラジルなど、多くの
日本人移民が抱いた夢を、三一郎さんもまた抱いていた。

キューバへ渡った日本人が作るスイカは、大きくて甘いと評判がよく、
高い値段でアメリカに売れた。勤勉な移民たちは荒れた土地を耕し、
3年ごとに土地を変え、スイカを作り続けた。

しかし、太平洋戦争がすべてを変えた。親米政権だったキューバでは
アメリカやカナダが行ったように、日本人移民を敵国人として主に働き
盛りの男性を中心に刑務所に強制収容した。

太平洋戦争の頃やその後のキューバ革命について、三一郎さんは
語らない。話を振った著者に「その話はやめてください」と告げるだけ。

だから、移民一世の記憶を持つ二世や三世に話を聞き、保存されて
いた資料に当たり、三一郎さんが経験して来たであろう歴史の波を
綴っている。

フィデル・カストロチェ・ゲバラが主導したキューバ革命に参加した
日本人移民二世がいたなんて知らなかった。フィデルゲバラにも
実際に会って、ゲリラ戦を伝授されていたなんて。

三一郎さんをはじめとした移民一世はキューバ革命を経て、キューバ
危機を経験し、アメリカの経済制裁の影響も受けながら、それでも
フベントゥ島でしっかりと生活の根を張って暮らして来た。

お金を貯めて日本へ帰るとの夢はキューバ革命とそれに続くアメリ
との国交断絶であきらめざるを得なかった。しかし、1度だけ三一郎さん
が帰国しようと試みたことはあったようだ。

だが、20歳の時に後にした故郷に二度と戻らず、2016年7月10日に静か
に息を引き取った。108歳の最後の移民一世の死は、キューバの国営
放送のニュースでも大きく取り上げられたそうだ。

結婚することもなく、90歳近くまでスイカを作り続けていた三一郎さん。
著者が老人ホームを訪ねると庭の椅子に座り、木漏れ日を浴びていた
三一郎さんは何を思っていたのだろう。

80年前に後にした故郷のことだろうか。再び会うことのなかった両親や
兄弟のことだろうか。キューバに渡ってからの日々のことだろうか。
敵国人として刑務所に収容された時期はあったものの、精一杯生き
抜いた108年は、やはり幸せであったのだろうと思いたい。

キューバへ移民した日本人の話ばかりではなく、キューバの医療制度や
政治の流れ、アメリカとの国交回復後のキューバの現状についても書か
れているのでキューバに対する知識がなくても読めると思う。

タイトルも素敵だし、テーマも興味深い。それなのに著者の文章は私には
読みにくい。用字・用語の遣い方、句読点の打ち方、言葉を持ってくる位
置などに引っ掛かり、前後の文章を読み返すことが多かった。間違った
言葉の遣い方になっている箇所があったのも残念。

尚、キューバの医療制度は本当に素晴らしいと思った。国内経済がガタ
ガタになって配給品も少なくしなくてはいけなかった時でも、フィデル
キューバは医療費無料を貫いた。「医療はビジネスではない」がきっちり
と浸透している。日本なら迷わず自己負担を増やすよな〜と思いながら
羨ましく思った。

この医療費無料や教育費無料が、移民二世や三世が医学の道に進む
チャンスを与えてくれてもいるんだよね。