大きな嘘ほど人は騙される

さすがに年度末の最終週、忙しいわ。さすがに今日は声が少々
裏返っていた。

それでも1時間83件の過去最高記録は破れなかったな。今日の最高
受電件数は1時間で70件だった。

あと3日。のど飴舐めて頑張ろうっと。

偽書東日流外三郡誌」事件』(斉藤光政 新人物文庫)読了。


近々提訴される民事訴訟がある。内容は特殊で難しいが、歴史関係
が得意なのだからぜひとも追いかけて欲しい。

東奥日報」の記者であり編集局政経部から社会部に移動となった
著者への、先輩記者からの引き継ぎだった。それがある古文書と
著者の出会いだった。

古文書は「東日流外三郡誌」。1940年代の後半の夏の夜、青森県
五所川原市の農家の天井裏から、突然に落ちて来た長持の中から
発見された。

そこには日本史を覆す津軽地方の歴史が綴られており、1970年代に
地方自治体が編纂した郷土史の資料としても使用され、折からの
オカルトブームも相まって話題になった。

しかし、古文書発見の経緯、その内容を巡っては早くから真作派と偽作
派との対立が起こった。

本書は発見者である和田喜八郎が損害賠償請求で訴えられた裁判を
追うのは勿論のこと、真作派の言い分を掲載すると共に偽書派が提起
している問題点を詳細に解説している。

内容を読む前から私はこの古文書が偽作との認識を持っていた。だから
偽書派が真作派の言い分を次々と論破して行ったり、発見者である和田
喜八郎の発言や行動の矛盾を突いて行く過程は面白かった。

それにしても古代史研究家の古田武彦はなんでこのいわゆる「和田家
文書」を信じてしまったのだろうな。確かに「もうひとつの歴史」はロマン
なのかもしれない。本当にそうなのだとしたらわくわくするのは分かるん
だけどね。

でもね、研究者なんだよね。都合よく次々と発見される古文書、ただの
炭焼き山に神社まで作って古物までが発見さるようになった和田家文
書の「聖地」。それだけでおかしいと思わなかったのかな?

使用されている用字用語の矛盾や筆跡鑑定なんてしなくても、和田家に
一時期同居していた喜八郎のいとこである和田キヨエさんの証言だけ
で十分に発見者の自作自演だった分かりそうなものなんだけどな。

発見者であり作者であると見られる和田喜八郎は真相を語ることなく
この世を去っている。偽の古文書を作成した動機は金銭欲だったり、
名声欲だったりしたのかもしれない。

しかし、金儲けの為についた嘘を、いつしか自分自身で史実であると
信じてしまったのかもしれないね。

旧家の土蔵などから貴重な文書が発見さることはたまにあるけれど、
和田家は旧家でもなく、天井裏には長持を吊り下げられそうな梁も
なかったそうだ。

「これが津軽地方の隠された歴史だ」なんてやらずに、創作として発表
していたら歴史研究者や一般の歴史愛好家までを巻き込む騒動には
ならなかったのかもしれない。

新聞記者らしく時系列でまとめられており、文章も読みやすい。偽書
いえばもうひとつ『竹内文書』があるが、本書ではこの『竹内文書』にも
触れており全編通して興味深く読めた。

偽書と言えば「ヒトラーの日記」事件なんてのもあったな。人間は大きな
嘘になればなるほど、騙されやすいのかも。