集団教育という過ち

「はい、そこでやめましょう。大臣にひと言申し上げます。質問に答えて
ください」

2日の衆院予算委員会共産党議員から在沖米軍のオスプレイ事故に
関連する質問を受けた稲田防衛相の答弁に対し、浜田靖一委員長が
強制終了を宣言。グッジョブである。

ここに至るまでにも「答弁が長い」「簡潔に願います」と言われていた
のに、官僚が書いた答弁書を理解もせずに読み上げてるのに相当
苛立ったのだろうな。

防衛大臣経験者だし、国防に関しても詳しいから余計だろうな。本当、
能力もないのに大臣になっちゃった見本だわ、稲田防衛相。

高市、丸川と一緒に「大臣としての能力がありません」と辞任してくれ
ないか?

『滝山コミューン一九七四』(原武史 講談社文庫)読了。

私は著者よりもいくつか年下になるのだが、1970年代が小学生時代
だったのは一緒だ。クラスに班分けもあったし、卒業式では卒業生に
よる「呼びかけ」もあった。しかし、著者が経験したような集団主義
教育ではなかったと思う。

それは居住環境の違いなのかもしれない。住宅不足解消の為にと
東京郊外に作られた団地住民の子供が多い小学校と、東京への通勤
圏として発展しながら、昔ながらの地主さんなどもいたベッドタウン
小学校。確かに地元にはいわゆるマンモス団地はあったが、学区が
違った。

ひとりの若い教師が担任したクラスで始まったのが、日教組の教師が
多く所属する全国生活指導研究協議会が提唱した集団教育主義で
ある。

そこでは個人は否定され、なによりも班だとか、クラスだとかの集団での
成果の引き上げが大きな目標となる。ソ連式集団教育を日本に根付か
せようとした試みだ。

確かに学校生活は集団生活である。だが、ある集団を競わせることは
当事者には相当なストレスをかけるものではないのか。事実、後年の
著者のインタビューに問題のクラスに所属した女性は小学生であり
ながら、体に変調をきたしていたと告白している。

政治的には保革伯仲の時代だった。だからこそ、ソ連式の集団教育の
実践も可能だったのだろうし、団地という画一化された空間に住んでいた
子供たちが多かったからこそ、受け入れられたのかもしれない。

児童の自主性を尊重するのも結構だが、林間学校も運動会も児童の
代表が組織する実行委員会が取り仕切るってのは、民主的でもなんで
もないんじゃないかと思ってしまったわ。

そして一番怖いと思ったのが、小学生にして他の児童から著者が自己
批判を求められたこと。読みながら「連合赤軍小学生版かよ」と呟いて
しまった。

息が詰まると思う。なんでも競争、なんでも連帯責任、なんでも減点制。
挙句、減点が多いと「ボロ班」とか「ビリ班」と呼ばれるなんて。そりゃ、
嫌だから懸命になるわなぁ。今考えれば集団によるいじめにしか思え
ないけれど。

この集団教育だけではない。子供は教育方法に振り回され続けている
のじゃないかな。詰め込み教育がいけないと言われ、ゆとりをもった
カリキュラムになったら「これだからゆとりは」なんて言われちゃう。

どの世代も、その時々の教育を受けた子供に罪はないと思うのだ
けれどね。