小さな生き物がくれた希望の光

安倍晋三が今月26日、27日の両日にハワイ訪問だとぉ〜。年末の
交通量が一番ピークの時に首都高を規制して羽田から出発かよ。

官邸からヘリで羽田に行け…ボソ。

あれかな?11月に就任前のトランプ氏に会いに行って、アメリカ政府
から「まだ大統領じゃないのに何してんだよ」と怒られたから、わざわざ
休暇中のオバマ大統領に尻尾を振りに行くって解釈でOK?

『カタツムリが食べる音』(エリザベス・トーヴァ・ベリー 飛鳥新社)読了。

ふかふかの寝床にいたはずなのに、突然、その寝床から引きはが
された。突然のことに驚いていると、また足元がふかふかとした。
でも、今までいた場所と何かが違う。

私の目は明暗を感じるだけで、周りの風景は見えない。けれども、
自分の周りの空気や匂いの変化を感じることは出来る。

私はカタツムリ。森の腐葉土の上にいた。それなのに、今は違う場所
へ移動しているようだ。

と、カタツムリになって書いてみようかと思ったが断念。だって、カタツ
ムリの気持ちは分からないんだもの。でも、本書の主役はカタツムリ
なのだ。

それも難病で寝たきりになってしまった著者の病床に、友人がスミレの
鉢植えと共に届けてくれたのがカタツムリ。当然のように著者は戸惑う。
タツムリに興味があったのでも、特段好きな生き物だったのでもない。

届けてくれた友人も、野生のスミレの花を鉢に植え替えた近くてたまたま
タツムリを見つけ、なんとなく摘み上げて鉢の中へ入れただけ。

でも、この小さな生き物が突然難病に襲われて絶望の淵にいた著者に
生きる希望を与えた。

「ペットセラピー」なる言葉もあるけれど、大抵は猫とか犬。カタツムリと
セラピーを結び付けるなんて誰もしないだろう。しかし、寝返りを打つの
も困難な状況で、ベッドから少々離れた場所で、ゆっくりゆっくり生きる
タツムリと、著者は時間を共有するようになる。

健康だった頃のペースでは生活できない。ベッドの上で病の不安と闘い
ながら、緩慢な時間が過ぎて行くのを待つしかない。どれほどの絶望
だったのだとうと、著者の苦痛を思う。

しかし、「あの子」と呼ぶことになるカタツムリがやって来て、その生態を
観察することで、別の時間の流れがあることに気付く。

時に詩的に、時に哲学的に。「あの子」のことを知ろうと、文献を読み
推論し、深く深く「あの子」に魅了されて行く。その過程の文章が美しい。
キラキラしている。

そうして、本書は読み手を魅了する。読んでいる途中で本当にカタツムリ
を飼ってみたくなったのだもの。そうして、本書のタイトルにもなっている、
著者が夜中に聞いたと言う、ひそやかなカタツムリが食べる音を聞いて
見たいと思った。

でも、いないの。カタツムリ。子供の頃は梅雨時になったら近所のブロック
塀の上に必ずいたのに、近年はその姿さえ見ていない。

生存するには厳しい環境になると冬眠すると言うカタツムリ。今はどこかで
永い眠りについているのかしらね。

たまたま古書店で見つけた作品だったけれど、この本に出会えてよかっ
た。内容もさることながら、装丁も素敵だ。どこかで見掛けたら、中身は
読まなくても結構だが、装丁だけでも眺めて欲しい。