今も東京の中にアメリカがある

管轄する総務省の大臣が白紙領収書を使っていたら、そりゃ
他の大臣の白紙領収書問題でも「問題ない」と言うしかないよ
ね、高市早苗センセイ。

富山市議は同じ問題で辞職しているのに、国会議員だけは「問題
ない」ってことにはならないと思うんだけどね。フンッ。

『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』(秋尾沙戸子 新潮
文庫)読了。

20歳をいくつか過ぎた頃に勤めていた事務所は青山にあった。通勤
途中で前を通る店舗が気になっていた。ある日、勇気を出して店内
に足を踏み入れてみた。

カルチャーショックだった。スーパーマーケット「紀ノ国屋」は、それまで
知っていた大手スーパーとは何もかもが異なっていた。なんだ?この
品揃えは?こんな野菜、見たことないぞ。この果物はなんだ?

面白くて、珍しくて、商品を次々とカートに放り込んで行ったら会計が
1万円を超えていたのを覚えている。ただ、その金額を「もったいない」
と思えないくらいに、店内は私にとってワンダーランドだった。

このスーパー「紀ノ国屋」も太平洋戦争敗戦後に日本に進駐して来た
アメリカ軍の要望を満たす為に生まれたのだと、後日知った。

1945年8月15日正午の玉音放送、そして敗戦。進駐軍を受け入れること
によって、日本にはアメリカ文化の波が押し寄せて来た。

都心の主な建物を次々と接収した進駐軍は、軍人とその家族の為の
宅建設を要望する。目をつけられたのは代々木練兵場だった。

明治神宮北参道の辺りから現在のNHKが建つ場所まで。涙型に広
がる場所に「アメリカ」が出現した。その名も「ワシントンハイツ」。

本書はその「ワシントンハイツ」を中心に据え、5月の「山の手空襲」
を体験した日本人、「ワシントンハイツ」に暮らした元アメリカ兵、終戦
後に進駐軍と日本政府との懸け橋になった日系二世、日本国憲法
作製に係わった人等の証言を集め、東京の戦後史を綴っている。

占領期を知らぬ私が「紀ノ国屋」店内でカルチャーショックを受けたの
だから、「贅沢は敵」だの「欲しがりません勝つまでは」なんてスローガン
の下で暮らして来た戦中の人たちが、なにもかもが豊富にあるアメリ
の文化に触れたこは価値観が大きく変わったことだろうと思う。

だって、真冬なのにワシントンハイツのなかではTシャツ1枚で暮らせる
のだものな。どこにいようとも「本国にいるのと同じ生活を」が基本になっ
ているアメリカらしいと言えばそうなんだろうけれどね。

玩具店の「キディランド」、土産物屋の「オリエンタルバザー」なんかも
「紀ノ国屋」同様、ワシントンハイツに住むアメリカ人の需要を満たした。
だから、表参道や青山周辺には似たような店が今もあるのかもな。

1964年の東京オリンピック開催を機にワシントンハイツは日本に返還
され、選手村として利用された。その準備過程でクリエイターの多くが
表参道周辺に事務所を構えるようになった。これは今も同じような感じ
だね。デザイン事務所だとか、編集事務所が多いもの。

戦後の東京と、アメリカに対する日本人の気持ちの変遷を知るには
いいのだが、登場する人物の多さと多岐にわたるテーマでまとまりの
なさを感じるのが残念。出来れば副題をタイトルにした方がよかった
のではないかと思う。

ワシントンハイツは既になくなったけれど、東京には今でも「アメリカ」
が存在する。日本人お断りのニュー山王ホテルと、六本木ヘリポート
擁する赤坂プレスセンターだ。

他の在日米軍基地ほど話題に上らないけれど、こういうのを考える
と未だ日本は占領期って感じだわ。