私の目にはうろこがたくさんついている

卓球の福原愛ちゃんの結婚報告会見をテレビで見る。もうねえ、親戚の
おばさんの気分なのよ。

だって、愛ちゃんは小さい頃から知ってるんだもの。勿論、テレビを通じて
一方的になんだけどね。

ご結婚おめでとう。末永くお幸せに☆☆☆

『書店と民主主義 言論のアリーナのために』(福島聡 人文書院
読了。

極度の近視なのでコンタクトレンズは必需品だ。あ、近年は老眼も
加わっているけれど。両目に1枚ずつ装着しているのだけれど
(当たり前ですね)、私の両眼にはコンタクトレンズ以外にもうろこが
たくさんついているみたいだ。

本書はページを繰るごとにポロポロと目からうろこが落ちるのである。
私の目は相当に曇ってるようだ。

著者は大手新刊書店チェーンの店長だ。書店の店長との視点で、
本と書店というフィールドをテーマにしたエッセイをまとめた作品だ。

2015年、東京・池袋の書店が「自由と民主主義のための必読書50」と
銘打ってブックフェアを開催した。これが炎上した。店員のひとりが
Twitter上で「闘います」と宣言したことが発端だった。

書店のフェアに目くじら立てることもなかろうにと思った。ただ、そう
感じた自分もまた、違う種類の出版物に対してある種の嫌悪感を
持っているのも確かだ。

それは中国や韓国を批判する内容の出版物であったり、特定の
宗教団体の出版物であったり、少年犯罪の元犯人による手記で
あったりだ。

上記の出版物を平積みにしていた新刊書店には極力立ち寄らない
ようにしていたし、特定の出版社の作品の不買運動もしている。

だが、それではいけなかったんだ。書店は時代を映す鏡だと言う。
言論の闘技場(アリーナ)だと言う。ならば、そこには相反する言論
が存在していていいのだ。

自分の嗜好に合わないからといって視界に入れないようにするのは
排除に他ならない。そう、今まで私がやって来たことだ。言論の自由
表現の自由を信奉しながら、私は居心地の悪い言論や表現を排除
して来ていたのだな。反省しよう。

中立とは意見を持たないことだと著者は言う。だったら、私は中立で
なくていい。自分の意見を持ち、加えて異なる意見に耳を傾けること
をしてかなくてはならない。但し、罵詈雑言は無視するが。

某新刊書店チェーンが展開している、カフェなどを併設した「生活提案
型書店」が私は苦手なんだが、これに関しては著者と考え方が近かっ
たかな。「本のコンシェルジュ」なんて絶対無理だし、わたしゃ「カフェ」
ではなく、「喫茶店」で本を読むのが好きだし、何より自宅でぐたーっと
寝そべって読むのが一番いいのだ。

自分の心と頭の狭さに気付かせてくれた作品だが、今後、これまで
避けて来た作品を読むかと問われれば自信はない。だって、積んだ
ままの本が大量にあるのだもの。