もうひとつの物語

高く掲げた両腕を交差させて最後の直線を走る。閉幕したリオ・
オリンピック男子マラソンで2位に入ったエチオピアのリレサ選手だ。

エチオピア政府が弾圧しているオロモ族の出身。自国政府への
無言の抗議の姿だった。

オリンピックでの抗議と言えば思い出すのはメキシコ・オリンピック
での陸上男子200mの表彰台だ。1位はトミー・スミス、3位はジョン・
カーロス。共にアメリカ代表の黒人選手だ。

ふたりはアメリカ国内で行われている黒人差別に抗議する為、アメリ
国家が演奏されるなか、黒い手袋をつけた拳を高く掲げた。直後から
アメリカ・オリンピック委員会はふたりへの弾圧を始めた。

そうして、ふたりと一緒に表彰台にたった2位の選手がいる。オーストラリア
のピーター・ノーマンだ。ノーマンは拳こそ掲げなかったが、その胸には
アメリカ選手ふたりが付けていた「人権を求めるオリンピック・プロジェクト」
のバッジが付けられていた。

ここにもうひとつの弾圧があった。オーストラリアでも非白人排除政策が
行われていた時期だ。「すべての人間は平等である」との信念に従った
ノーマンは、メキシコ・オリンピック以降、国際舞台から姿を消した。

代表選考レースで出場資格を得たのに、ミュンヘン・オリンピックでは
オーストラリア代表から外された。

アメリカ選手のふたりがオリンピック後、辛酸を舐める生活を続けて
いたように、ノーマンも家族共々白人社会からバッシングを受けた。

ただ一度、名誉回復のチャンスを与えられた。メキシコ・オリンピックで
アメリカ選手ふたりの行為は人類に対する冒とくであると非難しろ
との条件だった。

当然のようにノーマンはこのチャンスを断り、2006年に亡くなった。
葬儀ではスミスとカーロスがノーマンの棺を担いだと言う。

オーストラリア政府がノーマンに正式に謝罪をしたのは2012年。死後の
名誉回復だ。遅すぎた謝罪だった。本来であればノーマンはオーストラリア
のヒーローのはずだったのに。

メキシコ・オリンピックではスミスとカーロスの物語ばかりが取り上げられる
けれど、もうひとりのメダリストもまた、自分の信念を曲げずに生きていた
のだね。

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