遺された言葉は利用された

安倍晋三のところの昭恵夫人がヘリパット建設阻止で住民が座り込み
をしている沖縄・高江に行ったって?同行したのは先の参院選に出馬
していた三宅洋平だそうだ。

首相夫人が現場で何が起きているか確認しに行ったって何も変わらない
だろうに。何の為のパフォーマンスなんだかなぁ。

三宅洋平も何がしたいんだか、さっぱり分からないお人だわ。

『『きけわだつみのこえ』の戦後史』(保坂正康 文春文庫)読了。

『きけわだつみのこえ』を初めて読んだのは中学生の時だったと
記憶する。その時手にしたのは東大新書版だった。

その後、しばらくして岩波文庫版を購入し何度か読み返した。

そして2年前に岩波文庫ワイド版を読み直し、改めて平和を維持する
ことが、学徒兵のみならず戦争で失われた命を弔うことなのだろうと
感じた。

ある時期は爆発的に売れ、今でも入手可能な『きけわだつみのこえ』
は、戦後のロングセラーと言えるかもしれない。だが、その編纂過程で
恣意的な改ざんがあったとしたらどうだろう。

本書は『きけわだつみのこえ』が世に出た経緯から始まり、戦没学徒
の遺書・手記・日記等の収集・編集にあたった「わだつみ会(日本戦没
学生記念会)」の変容をつまびらかにしている。

人間が集まれば主義・主張の違いで揉め事が起こるのは必然的なの
だろう。しかし、「戦没学生を追悼する」と言う当初の理念は大きく変質
し、亡くなった学生たちの残した言葉は政治的に利用されるようになる。

わだつみ会」の変質と共に、当初会員に名を連ねていた遺族の多く
が会を離れて行ったのは当然の結果か。だって、「わだつみ会」は途中
から「戦没学生は被害者であり、加害者でもある」との理論を展開し
始めたのだから。

そうして「決定版」と銘打った新版では意図的な改ざんが行われていた。
わだつみ会」の内紛はともかくとして、遺された言葉が改ざんされてい
たというのは正直、ショックだった。

編集と言う作業の過程では多かれ少なかれ作り手側の意図が入り込む。
だからと言って、原本にもあたらず、違った場所から言葉を持って来て
切り張りしていいはずはない。

これでは死者は2度殺されたことにならないか。読み手によって受け取り
方が異なるのは当然だが、作り手の側が読み手をどこかへ誘導しよう
としているのがあからさまではないか。

『きけわだつみこえ』自体の貴重さは損なわれることはないのだが、遺さ
れた言葉は書いた本人が思いもしなかったところで独り歩きしてしまう
のだろうな。

本書を読み終わって「わだつみ会」のホームページを見て来たのだが、
ほとんど活動してないようだ。機関紙の発行も2008年以降更新されて
いない。でも、会員募集は行ってるんだよね。現状、この会がどうなって
いるのか不思議だ。