仲間たちのために、力漕10本(パワー・テン)!

共産党との野党共闘見直し」なんだそうだ。岡田代表が次の
代表選には出ないと表明した民進党である。

先の参院選で手に入れた1人区の議席は、共産党が候補者を
出さなかったおかげじゃないのかね?

民進党共産党が1人区でそれぞれ候補者を擁立していたら
雹が割れていたのは勿論、信用ならない民進党があれだけ
得票できたかね?

もう一度、よく考えてみましょう。細野センセイ。

ヒトラーのオリンピックに挑んだ若者たち ボートに託した夢』
(ダニエル・ジェイムズ・ブラウン 早川書房)読了。

これは美しく、切なく、温かい物語だ。スポーツ・ノンフィクションで
あり、政治の話であり、戦争の話であり、ひとりの青年の成長の
物語でもある。

著者は著作を通してひとりの老人と知り合う。ふたりを巡り合わせた
本の話は、いつしか老人の人生へと移って行った。それが本書を
書くきっかけとなった。

老人の名前はジョー・ランツ。1936年、ナチス政権下で開催された
ベルリン・オリンピックに8人漕ぎボートのアメリカ代表として同じ
ワシントン大学ボート部の仲間と一緒に出場した。

このジョー・ランツを核として物語は進む。ランツの人生だけでも
充分過酷なのだ。大恐慌後のアメリカで実母を早くに亡くし、叔母の
元に預けられ、やっと家族の元に戻ったと思ったら義母との軋轢が
原因でわずか15歳でひとりで生きることを余儀なくされる。

根無し草のような生活の中でランツがやっと自分の居場所を見つけた
のは学費の工面に苦労しながらも入学したワシントン大学のボート部
だった。

ボート競技と言えば上流階級がたしなむスポーツだった。19世紀や
20世紀初頭を描いたイギリスの映画なんかによく出て来る、あの
イメージだ。確かにアメリカ東部では家柄のいいお坊ちゃんたちが
多く参加していた。

しかし、アメリカ西部、カナダと国境を接するワシントン州(ワシントン
DCにあらず)・シアトルは東部から見れば僻地であり、田舎者の住まう
場所だ。

そして、そのシアトルにあるワシントン大学ボート部の選手たちはランツ
ほどではないにしろ、富裕層からは遠く、ランツ同様に次の学年の学費
を自分の手で稼がねばならない選手が多くいた。

ランツたちは1年生の時から驚異的なレース展開をした。「最強の1年生」
たちではあったが、オリンピック出場の切符を手に入れるまで順風満帆
であったのではない。

スランプもあった。ワシントン大学最強のメンバーを選抜する為に、
何度もメンバーの入れ替えが行われ疑心暗鬼に陥る選手もいた。
誰もが皆、自分が第1ボートに選抜されるのか不安だった。

そうして迎えたオリンピック代表を決めるレースでワシントン大学
選手たちは圧倒的な力を発揮し、ベルリン行きの切符を手中にする。

決して恵まれた環境にいたとは言えない若者たちはオリンピックと言う
晴れの舞台に赴く。ナチスが完璧な街として作り上げたベルリンへと。

「エピローグ」を除く全19章のうち、実際にベルリン・オリンピックに割か
れているのは僅か4章。だが、ベルリンへ辿り着くまでの長い描写も
飽きさせない。

なんといってもクライマックスはオリンピックでの決勝レースなのだが、
文字で書かれたレースの模様でも手に汗握る…という感じだ。あり得な
いほど不利な条件でレースに臨まなくてはならなかったアメリカチーム
に感情移入してしまい、思わず泣きそうになった。

スポーツは人を成長させる。それは本書の中核をなすランツも同じだ。
家族に捨てられ、人に頼ること、人を信じることを止めてしまったランツ
が、同じボートを漕ぐ仲間たちを無条件に信じ、心も体もボートに捧げ、
後には父親とも和解する。

既に本書がアメリカで発行された時、ランツはこの世を去っていた。
同じボートを漕いだ最後のひとりが2009年に他界すると、あのベル
リンでのレースを体験した者は誰もいなくなった。だから、本書は
貴重な記録でもあるのだろう。

ただ、彼ら9人が漕いだボート「ハスキー・クリッパー」は、今でもワシン
トン大学の艇庫天井に下げられており、毎年、ボート部の門を叩く若者
たちを迎えていると言う。

「でも、私のことだけ書くのはだめだ。ボートのことを書いてくれ。
ぜったいに」

生前のランツとの約束を、著者が忠実に守った本書は近年まれに見る
秀逸なスポーツ・ノンフィクションだ。ボート競技の知識が一切なくても
読めるのがいい。

ただし、邦題は少々気に入らない。尚、文庫版ではもっと気に入らない
邦題になっているのが残念。