「東京の名花」、再度の復活

「世界が平和になりますように」

人を殺して「平和」もないもんだ。早朝のニュース速報では心肺停止2人と
なっていた障害者施設での惨劇は、お昼のニュースでは戦後最悪の大量
殺人事件になっていた。

障害者は殺していいって何だよ。ナチスか、こいつは。

しかし、防げたような気がするんだけど結果論だからなぁ。う〜ん。

『桜色の魂 チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか』(長田
渚左 集英社)読了。

1964年の東京オリンピックの時はまだこの世に生を受けていなかった。
続く1968年のメキシコ・オリンピックは幼過ぎて記憶にない。だから、
その人を初めて見たのは家に保存されていた東京オリンピック記念
のグラフ誌だった。

ベラ・チャスラフスカチェコスロバキア(当時)の女子体操選手は、
女優のような美しさ、グラマラスな肢体、そして女性らしい優美な
演技で、会場を埋めた日本人を魅了した。

東京オリンピックを記憶している人たちから「東京の名花」と言われた
チャスラフスカの話は聞いていた。その呼び名通り、グラフ誌のなか
の彼女は美しかった。

だが、チャスラフスカの人生は競技会での華々しい活躍だけは済まない。
チェコスロバキアが目指した「人間の顔をした社会主義」、プラハの春
ソ連の侵攻によってあえなく潰えた。

プラハの春で多くの著名人が署名した「二千語宣言」にサインをしたこと
によって、チャスラフスカの身にも危険が迫る。

辛うじて出場できた1968年のメキシコ・オリンピックでも4つの金メダルを
獲得し、祖国に栄誉をもたらしたものの、政府が求める「二千語宣言」の
撤回を頑なに拒否し、表舞台から姿を消した。

ビロード革命大統領補佐官に就任し、これでチャスラフスカの生活も
安定するかと思われた矢先、家族間の悲劇的なトラブルが発生する。
それだけが引き金ではなかったのだろが、チャスラフスカは心を病み、
14年に渡って心を閉ざし、医師から治癒は見込めないと宣告された。

ここまでのチャスラフスカの人生は『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』
(後藤正治 文春文庫)の方が詳しいし、名著でもある。ただ、心を
病んだチャスラフスカ本人の話が聞けていない。

本書は再度の復活を遂げたチャスラフスカへのインタビューもある
ので「その後」の部分では参考になるんだが、どうもチャスラフスカの
生き方を日本の武士道にどうしても結び付けたいとの意図が感じら
れる。

チャスラフスカが男女問わず日本の体操選手と長く交流していたこ
とや、日本女性初の審判員に絶大な信頼を寄せていたこと、男子
選手の遠藤幸雄を尊敬し、彼の体操に惹かれ大技の指導を受けて
自分のものにしていたのも事実だろう。

演技で大きなミスをしても、日本の観客は彼女に大きな拍手を送った。
来日する度に歓迎してくれ、プラハの春がついえた後も彼女のことを
心配してくれた日本。そんな日本にチャスラフスカが親近感を抱くの
も当然のことだろう。

せっかくチャスラフスカ本人に話を聞いているのに、再度の復活に
ついても著者の推測とこじつけが多くて残念だ。

尚、先日、朝日新聞にチャスラフスカの記事が出ていた。「東京の
名花」も既に74歳。癌を患い余命宣告をされていると言う。

「2020年は、雲の上から、大好きな日本に向かって手を振りますね」

こんなコメントが載っていた。寂しいな…と思いながら記事を読んだ。
そして、運命の女神がいるのなら、チャスラフスカに対してあまりにも
意地悪なんじゃないかと思った。

女子体操が「大人の女性の競技」だった時代は遠くなったんだな。
フィギュアスケートの女子シングルスと一緒で、体操も優美な女性らしい
演技よりも難易度の高い、ただのアクロバットになってしまったもの。

チャスラフスカに興味にある方は本書よりも『ベラ・チャスラフスカ 最も
美しく』(後藤正治 文春文庫)がおすすめだ。