私はシャルリではない

兵庫県議のののちゃんに有罪判決か。執行猶予はついた
けどね。

判決のニュースでも例の号泣会見の映像を使われてしまう
ののちゃん。一生、この映像がついて回るんだろうな。

お気の毒…とは思わないけどね。

『シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧』(エマニュエル・トッド
 文春新書)読了。

フランスの風刺週刊誌「シャルリ・エブド」が武装した犯人に襲撃され
たのは2015年1月7日。そして1月11日、フランス各地では犠牲者を
追悼する為のデモ行進が行われた。参加者は300万人とも400万人
とも言われる。

言論機関への襲撃はショックだったし、各国首脳が参加したパリの
デモの様子は壮観でさえあった。だが、最初の衝撃の波がおさまり
はじめると「何かが違う」と感じるようになった。

それはインターネット上に溢れる「Je Suis Charlie(私はシャルリ)」の
スローガンと、フランスが掲げている「自由・平等・博愛」の間に矛盾が
あるのではないかと思ったからだ。

「私はシャルリ」と表明することが、犠牲者への共鳴となり、言論・表現
の自由は暴力には屈しないというシンボルとなったのだろうが、「シャル
リ・エブド」がムハマンドを風刺することで、自分の信じる宗教や文化を
侮辱されたと感じた人もいたのではないか。

なので、タイトルに惹かれて本書を手の取ったのだが私には難解で
あった。だって、フランスの政治と言えばフランス革命くらいしか
分からないのだもの。それも漫画『ベルサイユのばら』が参考書だ
ものな。

租借できないままに理解したところでは、実は表現の自由を擁護する
為のデモではなく、世界各国が少なからず陥っている不平等社会を
容認する為のデモであったのだ。

著者はデモ参加者の社会階級の統計を利用し、参加者には中産階級
以上が多くを占め、労働者階級の少なさを指摘している。不平等主義
がフランスのみならずEUを席巻し、イスラム教徒に対する差別的な行動
イスラム恐怖症を引き起こしている。

だからか。「シャルリ・エブド」襲撃事件は大きく取り上げられるのに、
ユダヤ人商店襲撃事件はまるで「なかった」ことになってしまっている。

「シャルリ・エブド」襲撃事件があった同じ年の11月。パリ同時多発テロ
が起きた。「私はシャルリ」のスローガンのように、この事件の後には
SNSプロフィール画像にフランス国旗を重ねている人を多く見かけた。

そして、2016年3月にベルギーの首都ブリュッセルでの連続テロの際に
はベルギー国旗が同じようにSNSに溢れた。

フランス国旗やベルギー国旗を掲げる人は多いのに、シリアやイラク
アフガニスタンの国旗を掲げる人は何故、いないのだろう。テロが起き
ているはヨーロッパだけではないのに。

ここにも無意識的な差別が表れていないだろうか。イスラム世界で
イスラム教徒がテロの犠牲になっても、私たちには関係ない…と。

尚、「シャルリ・エブド」襲撃事件ではイスラム教徒の警察官も犠牲に
なっていることを付け加えておく。だから、私は「私はシャルリ」とは
言えないし、フランス国旗も掲げられない。勿論、ベルギー国旗もだ。

もう少し私の頭が良ければ、本書から読み取れることがもっと多く
あったと思うんだ。自分の頭の出来が残念。

翻訳の仕方もあるのかもしれないが、フランス人の書く文章は饒舌
だね。