人間とは、生きるとは、世界とは何か

あらら〜。「週刊文春」に嗅ぎまわられちゃったのね、舛添東京都
知事は。

元奥様の片山さつきセンセイが言うには「セコイ男」だそうだけれど、
そんな感じよね。まぁ、片山センセイもその昔「才女」と呼ばれた
面影はなくなっちゃけれど。

公用車で別荘通いが取り上げられた時の初期対応で間違えちゃった
よね。開き直りだもの。そして、都庁に批判が寄せられるところっと
変わっちゃう。

さて、どうすんでしょう。辞任はしないようだけれど。

『フォト・ジャーナリストの眼』(長倉洋海 岩波文庫)読了。

勝手に「私の英雄」と読んでいる人たちが何人かいる。それはフィデル
カストロであり、チェ・ゲバラであり、チェーザレ・ボルジアであり、エンリ
コ・ダンドロであり、ティベリウスである。

その中でも強く惹きつけられるのがアフガニスタン北部同盟司令官
だったアフマド・シャー・マスードだ。実際、「アフガニスタン国家英雄」
の称号を贈られている。亡くなった後だけれど。

マスードを知るきっかけとなったが、本書の著者である長倉氏の写真
だった。一目で惹きつけられた。アフガニスタンに侵攻して来たソ連
軍を相手に一歩も引かず、ソ連軍を撤退に追い込んだ男。

どんな強面かとおもうだろう。確かに厳しい表情を見せることもある。
だが、どこか洗練されているのだ。知性を感じさせ、エレガントでさえ
あるその佇まい。

それから長倉氏の写真集や著作を集めるようになった。ただし、未だ
全てを読み終わってない。それなのに、本書は再読である。発行当初
に既に読んでいるので、あれから20年以上の歳月が経っている。

1980年代から1990年代にかけて、長倉氏が取材に訪れた国や地域
を振り返りながら、そこで生きる人々の日常を「フォト・ジャーナリストの
眼」で浮き彫りにしている。

内戦のエル・サルバドル、フィリピンのスラム、イスラエルに包囲され
世界から見捨てられたパレスチナ、日本へ渡ったフィリピンからの
出稼ぎ労働者、日本の高度経済成長を底辺で支えた山谷の人々、
そしてアフガニスタンで戦士たちと過ごした250日。

取り上げられている国や地域の現状は本書が書かれた時期とは
異なっているのだろうが、日々のニュースが取り上げない現実は
今も世界各地にある。

内戦のエル・サルバドルに生きる人々にしろ、フィリピンのスラムに
住む人々にしろ、山谷の日雇い労働者にしろ、皆、生活は楽では
ない。それでも、他者を思いやる心を持っている。

持たざる者は心まで貧しい訳ではない。却って、持っている者たちの
方が心が貧しくなるのではないか。

どの章も印象深いのだが、やはりアフガニスタンマスードたちと一緒
に過ごした日々を描いた章が一番心にしみる。それは9.11アメリカ同時
多発テロの2日前に自爆テロによって暗殺されてしまったからだろう。

「私は西でも東でもないイスラムの道を目指します。アフガン人による
アフガニスタンを……」
「われわれの考えるイスラム共和国。それは正当な選挙によって、
国民の声を反映させるものでなくてはならない。それは非イスラム
と敵対するものではなく、他の国々と協調して、アフガニスタン再建
を第一に考えるものです。われわれは不公平がない限り、あらゆる
国と友好を結びます」
「私は自由と言葉が好きです。しかし、その実現は苦難の連続です」

アフガニスタンの状況が報道されるたびに、今でも思う。こんな考え
を持っていたマスードが生きていたのなら…と。それは詮無いことな
のだろうけれど。

本書の内容はまったく古ぼけていない。紛争地で、難民キャンプで、
貧困に苦しむ人々は、今でも世界各地にいる。そして、彼ら。彼女ら
はそこでその日を精一杯生きている。

そんな人々を世界中に伝えるのが、「フォト・ジャーナリストの眼」なの
だろう。