抹殺された関東大震災の記録

安倍晋三様が本日、外遊にお立ちである。EUとロシアだっけ?
ロシア以外は今月末にサミットで日本に来るのに、なんで行く
のだろうなぁ。

ロシアだって「プーチンさん、日本に来て〜」ってラブコールを
送り続けてたのに、「お前が来たら?」ってことでいいのかしら。

そう言えば安倍晋三様は熊本の被災地に宿泊できるフェリーを
手配するって言ってたけど、どうなったんだろうね。

『典獄と934人のメロス』(坂本敏夫 講談社)読了。

関東大震災第二次世界大戦中の記録すべてがなくなっている。
戦争関係のものは、本省の行刑局長ら高官が戦犯としてGHQから
逮捕されるのを免れるために、全刑務所に焼却等の処分を命じて
証拠を隠滅したものだ。戦争の記録がないのはわかるが、関東大
震災当時の記録がないのは合点がいかない。一人職員を紹介す
るから話を聞いてみるか」

昭和46年、当時の横浜刑務所長の言葉がきっかけとなって、刑務官
でもあった著者は横浜拘置支所の女性刑務官に会い、彼女の母の
体験を聞いたことから驚愕の事実を知ることになる。

関東大震災はその名の通り、関東一円に大きな被害をもたらした。
震源に近い横浜市も例に漏れない。その横浜にあった横浜刑務所
では外塀は全壊、獄舎・工場の損壊も甚だしい。

加えて地震の影響で発生した火災が横浜刑務所にも迫る。典獄
(刑務所長)・椎名通蔵は決断を迫られる。このまま受刑者たちを
敷地内に留まらせて迫る火災の犠牲には出来ない。

決断は早かった。旧監獄法にあった規定に基づき囚人たちを解放
する。だが、24時間以内にこの場所に戻って来い…と。

この時に解放された囚人の妹が、著者が話を聞いた女性刑務官の
母である。少女だった彼女は、実家に辿り着いた兄が隣家の手伝い
の為に時間通りに刑務所へ戻れなくなった身代わりとして40キロの
悪路を駆け抜けた。

解放を機に、脱走を考えても当然だろうと思う。確かに時間内に戻れ
なかった囚人もいる。しかし、決められた時間は過ぎてしまっても典獄と
の約束を果たそうと他の刑務所へ出頭した者も含め、解放された全員
が「メロス」となって信頼に応えた。

本書は小説仕立てになっているので、ある程度の創作部分は入ってい
るかとは思う。だが、それを差し引いても典獄・椎名と囚人たちの間に
結ばれていた絆には感動さえ覚える。

それは椎名が囚人には厳罰で臨むより教育的な更生が必要であると
考えていたことと、所内を巡回し囚人の名前と顔を覚えていたことが
囚人たちに椎名への信頼を芽生えさせたのだろう。

ただ、椎名の決断が流言飛語の原因にもなったのは致し方ないのか。
「横浜刑務所から解放された朝鮮人が悪さを働いている」。一連の
朝鮮虐殺事件に通じる流言飛語でもあるんだよな。

この責任をかぶってくれとの法務大臣平沼騏一郎と椎名の面会場面
は少々格好良過ぎで気になるけれど。

横浜市が作成した公的記録にも関東大震災時の横浜刑務所での出来
事は正確には記されていないそうだ。椎名との約束を果たして後、囚人
たちは各地から届く救援物資の荷揚げ作業の為に港でも秩序正しく
働いているのにね。

ふと思った。流言飛語の標的にされた朝鮮人や囚人たちよりも、自警と
いう名の下に暴徒と化した人々や、大災害を金儲けと考える人々の方
がどれだけ怖いかだろうか…と。

脚色・創作部分はあるにしても、埋もれた歴史を掘り起した良書だ。

椎名通蔵。小菅刑務所や大阪刑務所の所長を歴任し、敗戦後は戦犯
とされ巣鴨プリズンに収容される。釈放後は故郷・山形県に戻る。生涯
を通じて横浜刑務所での出来事を記録として残さずに世を去った。