戦犯を看取る仕事

シクシクシクシク。今日は春の園遊会。昨年の秋の園遊会では女性
皇族の皆様はお洋服だったので、今回はお着物が見たいなと期待
していたんだ。

でも、ガッカリ。今回もお洋服だった。私の眞子内親王殿下のお着物
姿が見たかったのに〜。

あれかな。「あれも負担、これも負担。でも静養だけはふたんじゃない」
東宮妃がお着物も負担だからか?どうせ招待客の間を回らずに帰った
のに〜。

お願いですから中途半端にご出席なさらないで〜。

巣鴨プリズン 教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録』(小林弘忠
 中公新書)読了。

東京都豊島区東池袋の複合商業施設サンシャイン60。開業したのは
子供の頃だったので、以前、この場所に拘置所があったことを知らな
かった。

覚えているのは開業を伝えるテレビニュースを見ていた祖母が、テレ
ビ画面に向かって手を合わせていた姿だ。その姿を、きっと私は不思
議そうに見ていたのだろう。後に祖母は戦犯が処刑された巣鴨プリズ
ン跡地であることを教えてくれた。

本書は巣鴨プリズンの初代教誨師となった花山信勝と、敗戦後に
戦犯とされ巣鴨プリズンに収容されていた人物を中心に、戦勝国
よって裁かれ管理された巣鴨プリズンの全容を浮き彫りにしている。

死刑問題に関連した作品には教誨師がよく登場する。ただ、現代の
拘置所で罪人に接する教誨師と、戦犯とされた人々にGHQの管理下で
接する教誨師とでは立ち位置はかなりの違いがあるのだろう。

否、死を受け入れることを説くのは同じかもしれない。犯罪という個人
の責任と、戦争という国家全体の責任では明らかな相違がある。

時の首相であった東条英機だけが悪いのかと問われればそうではい
と言いたい。ならば、誰が悪いのかと問われれば特定の人物ではない
と答えるしかないんだが。

本書では収容者にどのように接すればいいか迷いながらも、死へ赴く
人たちに真摯に向き合った花山信勝の人物像が見えて来る。

ただただ、切ない。初代教誨師とあって手探りで任にあたった人だけ
に批判も多くあったようだ。戦犯たちの助命嘆願運動に力を入れた後任
教誨師と比較し、「アメリカ寄りだ」と言われたこともあった。

自分への批判を知っても花山信勝は反論することはなかった。A級戦犯
7人をはじめ、自身が見送った人々のことは取材攻勢をかけるマスコミに
も漏らさず、胸の奥深くにしまい、遺族へ届けたのだろう。

巣鴨プリズン内での収容者への待遇や花山信勝の戦争に対する考え等、
どれも興味深く読んだのだが、一番気になったのは「A級処刑と新聞報道」
と題された章だ。

戦時中は大本営発表を垂れ流し、戦意高揚のお先棒を担いだ新聞。それ
が敗戦ともなると手のひらを返したように国の指導者であった者たちを
叩きまくる。まるで自分たちはこれまでも戦争反対を唱えていたように。

時の首相・東条英機A級戦犯として裁かれるのであれば、新聞各社も
多大な罪を背負っているはずなんだけどな。この章を読んでいる間は
切なさよりも新聞各社への憤りが大きかったわ。

GHQ管理下の巣鴨プリズンで唯一の日本人として、処刑された戦犯を
見送った花山信勝。彼が実家の金沢の寺に残したメモや日記は貴重
な資料だと思う。これが広く公開されたらいいのに。