石巻の、もう一つの悲劇

巨人と言い、阪神と言い、プロ野球選手ってのはお金をかけないと
士気が上がらないのかね?

チーム内だとは言っても巨人なんて去年の秋に球団は把握していた
らしいじゃん。それなにに今頃公表?握りつぶそうとしたのかしらね。

「巨人軍は常に紳士たれ」は遠い昔のお話か?「巨人軍はくそったれ」
でよろしいか?

『海の見える病院 語られなかった「雄勝」の真実』(辰濃哲郎 医療経済社)
読了。

「だから彼らには「逃げる」という発想が、そもそもなかったのだ。
 荒れ狂う海原に身を預けながら、病院の職員であることを果たして
後悔しただろうか。
 山田薬剤部長らが、最後にかけた患者への言葉が、その思いを象徴
している。
 シーツに包んだ患者を、やっとの思いで屋上に引き上げた。だが、そこ
は地獄だった。まさに自分たちが津波に呑まれようとしているそのとき、
山田は患者に謝った。
「ごめんね」と。
 多くの職員を失った雄勝病院は、また同時に40人の患者を死なせてし
まった。残った職員は、多くの同僚を失った悲しみと同時に、患者を守れ
なかった負い目を抱えながら生きている。雄勝病院の惨状が、まるで秘
事のように語られてこなかったのは、そこに二重の悲劇があるからだ。」

引用が長くなった。東日本大震災で大津波が襲った石巻市。大川小学
校の惨事は犠牲者が子供だったこともあり、多くの報道がなされた。その
陰にもうひとつの悲劇があったことを私は知らずにいた。

雄勝湾の奥、海を臨む療養型の雄勝病院はあの3月11日、3階建ての
病棟の屋上までが津波に襲われた。震災当日、ほぼ寝たきりの高齢の
入院患者40人、外出者を除く職員28人が病院内にいた。しかし、生き
残ったのはわずか4人であった。

福島第一原子力発電所の事故で避難区域に指定された病院の、混乱
のなかでの避難の模様を綴った作品は読んでいた。あれも辛かったが、
本書はそれ以上に辛かった。

「患者を置いて逃げられない」。住民に避難を促された副院長は院内に
戻り、津波に流された。非番だった看護師は病院に駆けつけ命を落とし
た。屋上にいたはずの看護部長の遺体は3階の病室で発見された。
最後の最後まで患者に寄り添う為に、看護部長は屋上から病室へと
戻ったのか。

命を守るはずだった患者を死なせてしまったことへの、自分が生き残った
ことへの負い目をそれぞれが抱えていた。

あの大災害だ。仕方なかったじゃないかと思う。しかし、医療従事者である
彼ら。彼女らの意識は違う。まずは患者のこと。だから、余計に心に抱えた
傷と闇は深いのだろう。それだからこそ、報道もほとんどなかったのだろう。

だって、辛いもの。同じ言葉を繰り返すようだが、辛いよ、こんな体験を
語るのは。同僚も患者も失ってしまったのだもの。

亡くなった患者の中には、大震災直前に体調を崩し看護師が強く入院を
勧めた高齢女性もいた。入院を勧めた看護師は遺族に責められる覚悟
でいた。だが、女性の遺族は看護師を責める言葉を持っていなかった。

この部分、読んでいて救われた思いだった。患者の為を思って、患者に
向き合って来た看護師たちの働きを、家族は見ていてくれたのだろうな。

大手メディアが報道したら、きっと妙なドラマに仕立て上げられていただろう
と思った。著者が生き残った病院関係者の元に通い、根気強く取材をして
くれたおかげて生き残った人々がその重い口を開いてくれたのだろう。
雄勝病院の「あの日」も、語り継がれるべきものだと思う。

命を守ろうとして、命を失った人たちがいる。せっかく屋上に運んだ患者
を、海水が流れ込んでくるコンクリートの床にそっと降ろすしかなかった
時の心情はいかばかりだったのか。

「ごめんね、ごめんね」。患者にそう言って、自身も濁流に呑まれてしまった
のだもの。