自然が猛威をふるう時

「ISなどからの石油の輸送ルートを隠す為にロシアの戦闘爆撃機
撃墜した」

パリで開催中のCOP21でのロシア・プーチン閣下がこんな言葉で
トルコを非難した。そして、トルコのエルドアン大統領も負けていない。

「証拠があるのか。証拠があるなら大統領を辞める。なかったらどう
してくれるんだ?今の地位を捨てる覚悟はあるのか」

こ、怖い。ふたりとも怖い。メルケル首相〜、このふたり、どうにかして
下さい。お願いします。

あ、うちの安倍がエルドアン大統領に「よかったらプーチンとの仲介
するけど?」と申し出たようだが、相手にされたのだろうか。

『ドキュメント 豪雨災害 ──そのとき人は何を見るのか』(稲泉連
 岩波新書)読了。

近年、局地的な豪雨による水害が多発している。今年2015年にも
鬼怒川が決壊しして茨城県常総市が広範囲にわたって浸水した。

あの時は鬼怒川だけではなかった。関東の他の河川でも氾濫警戒
水位を超えたところが複数あった。私の地元を流れる綾瀬川でも
そうだった。実際に氾濫することはなかったが。

河川の急激な増水による水害は人々に何をもたらし、災害対策の
課題はどこなのか。本書では2011年9月に紀伊半島を襲った台風
12号による豪雨災害を紙上に再現しながら、問題点を浮き彫りに
する。

東日本大震災福島第一原子力発電所の事故と同じ年に起こった
ことから忘れられがちだけれど、この時の被害は甚大なものだった。

本書でも織り上げられている那智勝浦町での被害は私も覚えている。
それは町長の家族が犠牲になったからでもあるんだが。亡くなった
お嬢さんは結納の当日だったことも印象に残っている理由かもしれ
ない。

豪雨による災害は何も河川の氾濫ばかりではない。降り続く雨を含んだ
山が重さに耐えきれず起こす深層崩壊。土砂が河川に流れ込み、流れ
が上流に向かう津波のような状態。

発災当時の経過を追った部分は実にリアルだ。自分ならどうする?
避難勧告が出ていないくても自主的に避難するか?それとも自宅に
留まることを選ぶか?

否、それ以前にこれまで体験したことのない豪雨災害が迫っている
時に自分の住んでいる自治体は的確な判断が出来るのだろうか。

本書でも被災した住民と行政との齟齬が記されている。多分、行政
がいかに頑張っても被災者全員が納得の出来る対応は難しいの
だろう。そして、近年の「何十年に一度。何百年に一度」などと言われる
豪雨に伴う被害は思ってもいなかった場所で発生することも多くなって
いるようだ。

紀伊半島豪雨での被害の生々しい証言の数々は、その時何が起きて
いたのかを知るにはいい。ただ、「では、どうするか」の検証部分の
掘り下げ方が中途半端に感じた。

後半では紀伊半島とは地形が異なる東京都の海抜ゼロメートル地域
の防災について取り上げているので、通読するとなんともちぐはぐな
印象がある。

大きな災害が発生すれば、途端に防災の声が大きくなる。だが、自然
災害を防ぐ手立てというのはないのではないか。被害をいかに少なく
するかの減災を考えた方がいいんじゃないかな。

以下、本書でも引用されている寺田寅彦の文章の一節を引く。

「 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を
生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの
造営物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりに
なっていると、どうかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、
自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防を崩壊させて人命を危うく
し財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗
する人間の細工であると言っても不当ではないはずである。災害の
運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上に
も災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人その
ものなのである」

寺田寅彦がこの文章を書いた時代から、減災は進んでいないのかも
しれない。