名称さえも変わった街の記憶

またか。浦和レッズのサポーターの差別的発言。今度はTwitter上で
らしいけれど。

差別的横断幕事件での観客なし試合のことはもう忘れたんだろうか。
レッズ・ファンではないけれど、埼玉県民として恥ずかしいわ。

玉の井という街があった』(前田豊 ちくま文庫)読了。

ずっと東武伊勢崎線沿線に住んでいる。あ、今はスカイツリーラインなんて
恥ずかしい路線名になっているけど、わたしゃ未だに「伊勢崎線」と呼んで
いるのでこのままにしておく。

小学校高学年ともなれば友達同士、子供だけで出かけることも増えた。
例えば浅草花やしきであったり、上野動物園であったり、向島百貨園で
あったり。

どこへ行こうが干渉しない父だったが、ここだけは子供だけで降りては
いけないと言われていた駅があった。それが「玉ノ井」駅である。

何故だか分からなかったが言いつけは守った。高校生になって荷風さん
の『濹東綺譚』を読んでその謎が解けた。

私娼窟の街だった玉の井。私が子供の頃には既に娼家はなくなっていた
のだが、下町で育った父には昔の印象が残っていたのかもしれない。
勿論、父自身も私娼窟であった玉の井を知っていた訳ではないのだが。

公娼として営業を許可されていた吉原と違って玉の井には公の記録が
残っていないらしい。そんな玉の井が私娼窟として繁栄した頃を知って
いる著者が、自身の体験と取材を元に書かれた街の記憶が本書だ。

荷風さんが苦界の女性を愛したように、玉の井に対する愛情がひしひし
と伝わって来る。玉の井を訪れた時の記憶を元に書かれた街の風景の
描写は映像として再生できるほどに鮮明だ。

荷風さんをはじめ、戦前の玉の井には多くの文人が足を運んでいたの
は知っていたが、そこに太宰治がいたことは知らなかったな。太宰に
関しては資料がほとんどないとか。惜しいね。この頃の太宰のことが
分かればいいのに。

春をひさぐ。女性最古の商売は戦後の売春防止法によって禁止された。
そして、玉の井の街からも女性たちが姿を消して行った。

取材中、路地の多い玉の井で道に迷った著者は通りすがりのふたりの
老婆に表通りまで案内してもらう。「玉の井もずいぶん大きな街になり
ましたね」と呟いた著者に、老婆のひとりが答える。

「まったくその通り。玉の井の街がこれだけ大きくなったのも、みんな
あの女たちのお陰です。女がいなけりゃ街は繁昌しませんよ。それを
今になって放り出してしまうなんて、義理を知っていたらもう少し何とか
やり方があったはずですよ」

フェミニストが聞いたら噴飯ものだろうが、女性が体を売ることで人が
訪れ、それに伴って街が発展することもあるんだよな。

昭和の終わりごろ、東備伊勢崎線の駅名に残っていた「玉ノ井」も
東向島」なんて味もそっけもない名称に変わった。かろうじて駅名の
表示板に「旧玉ノ井」と残るだけになった。

赤線なんて言葉も若い世代には通じなくなっている。でも、そこで生きた
多くの女性たちがいたことを記憶に留めておきたいね。