何故、彼女の生涯と作品は忘れられたのか

笑顔に愛嬌があるのと、たま〜にいいことを言うので困るのだな。
麻生太郎は。

天皇陛下が住まわれたことがない大阪が何で都になるのか」

お子ちゃま市長とチンピラ府知事の都構想なんて、この言葉だけ
で論破じゃないのか。

ゲルダ キャパが愛した女性写真家の生涯』(イルメ・シャーバー
 祥伝社)読了。

既に伝説ともいえる報道写真家ロバート・キャパ。そのキャパが愛した
女性であり、女性写真家としてスペイン内戦を共に取材したゲルダ
タロー。

キャパの名前は今でも目にする機会が多いが、キャパとの絡みでしか
語られることのなかったゲルダ・タローの日本語翻訳初の本格的評伝
が本書である。

新聞の新刊広告を見た翌日、引き寄せられるように立ち寄った新刊
書店で本書のタイトルが目に飛び込んで来た。運命だろう、こんなの。
当然のように買った。そして、積読本に加えることなく読んだ。

凄い。この一言に尽きるんだが、それでは感想にならない。著者は
ドイツ人女性なのだが、女性作家にありがちな感情に流されること
もなく、まるで学術書のようにゲルダの生涯とその死後までを淡々
と描いている。

ドイツで生を受けたユダヤ人の少女は、何故、女性写真家となり取材
中に命を落とすことになったのか。

ナチス政権が台頭するドイツでは彼女自身の身に危険が迫っていたこと
もあり、フランスへと渡りパリに生活拠点を築く。空腹を抱えながらあらゆる
アルバイトをし、カフェでさまざまな人々と交流する生活の中で、カメラを
手にして写真技術を習得していく。

その過程で出会ったのが後のロバート・キャパアンドレフリードマン
ある。ただし、本書はキャパとの恋愛には重きを置いていない。ゲルダ
生涯を追うなかでの重要人物には違いないのだが、それよりもゲルダ
撮影した写真についての検証の方に重心を置いている。

この作品の検証が実に興味深い。沢木耕太郎が『キャパの十字架』で
検証した「崩れ落ちる兵士」についても触れられているが結論は出して
いないものの、同じ場所で撮影されたゲルダのコンタクトプリントが掲載
されている。

スペイン内戦を取材中、キャパ同様、ゲルダの写真も多くの媒体に使わ
れた。だが、第二次世界大戦後に写真家としてのゲルダの名前はいつの
間にか忘れ去られた。

何故なのか。彼女の死がコミュニストたちに利用されたことと、東西冷戦
のなかでの西側世界の共産主義者とそれに共感する人たちへの疑惑
の視線がゲルダと彼女の作品を封印して来た…という著者の論証に
納得した。

ドイツでの少女時代、ゲルダナチス政権への抵抗運動に加担して
いたし、パリ時代も亡命者たちの多くと交流していた。そのなかには
後に西ドイツの首相となり「荒野の40年」という名演説を残したヴィリー・
ブラントもいた。このブランドがゲルダのスペイン行きを止めさせようと
説得していたなんて話には驚いた。

スペイン内戦でファシズムに抵抗する人々を取材することはゲルダ
とって希望だったのかもしれない。それは、ユダヤ人という出自だけで
二度と故郷の土を踏むことも家族と再会することも叶わなかった彼女
の、微かな希望だったのかもしれない。

近年、キャパの作品と混同されていたゲルダの作品に改めて光が
あてられるようになった。死後から正当な評価を受けることなく忘れ
られていたゲルダの生涯と作品が、再び表舞台に現れることを
嬉しく思う。

尚、本書の「まえがき」と「解説」は沢木耕太郎氏の筆による。本編も
秀逸だが、この「まえがき」と「解説」も沢木ファンとしては読み逃せない。

惜しむらくは巻末に参考文献一覧がないこと。ドイツ語版の原書に
なかったのかもしれないけどね。