闇が消えると文化も消える

国会閉会中の予算審議。案の定、パンツ高木復興相が標的になって
いるようだ。当然だよね。

野党のセンセイたちにはパンツの件について、とことん突っ込んで
欲しいわ。

ご本人はシラを切り通すのだろうけどね。だって、「パパに頼んで
もみ消してもらいました」なんて答えられないものねぇ。

『日本人と神隠し』(小松和彦 角川ソフィア文庫)読了。

小学生の頃、学校から帰宅するとランドセルを放り出してすぐに
外へ遊びに行っていた。え?宿題?そんなものは知りません。
やってなくてもどうにかるという、いい加減な子供だった。

「行って来ま〜す」と玄関を出る私の背に、亡き祖母は決まってこう
言った。「日の沈む前に帰っておいで。暗くなったら神隠しにあうよ」。

真剣には聞いていなかった。でも、ある日、小さな神社で友達数人
と遊んでいるうちに時間を忘れた。あたりが暗くなって来るのと同時に、
何故か怖くなって来た。

遊び場所が神社だったからかもしれない。祖母の言う「神隠し」にあって、
家に帰れなくなったどうしよう。こうなるともう遊んでなんかいられない。

普段の運動神経の鈍さはどこへやら。全速力で家に駆け戻り、半べそを
かきながら祖母に抱きついたのを覚えている。

神隠し。ある時、突然、生活圏から人が姿を消す。現代では失踪とか
家出、誘拐などの言葉に置き換えられるようになったが、昭和のある
時期までは人々はそれを「神隠し」と読んだ。

本書は民族学者が採取した各地に残る神隠し現象をひも解いた民俗学
の入門書…になるのかな。

現代ではほとんど使われなくなった言葉「神隠し」だけれど、きっと人が
忽然と姿を消す原因は昔も今もあまり変わらないだろうと思う。

ただ「神隠し」というベールに包んでしまえば、そこからは生々しさは
減少される。姿を消した原因が、間引きや蒸発であったとしてもだ。

自分たちの住む「こちら側の世界」と、神に攫われた「あちら側の世界」。
異界を設けることで辻褄を合わせていたのではないだろうか。

自殺も、誘拐も、失踪も、間引きも、「神隠し」としてしまえたのは日常の
すぐ隣に「闇」があったからかもしれない。

今ではよぼどの山間部に行かなければ闇に出会わないものな。人家の
少ないところでも、ぽつんと自動販売機があってほんのりと灯がある。

闇のなかには異界があり、時々、人を隠す。現実から目を逸らす手段
として神隠しは存在したのかな。