私たちはこれをしていいのか?

最近、デモに行かなくなった。勿論、戦争法案廃案デモは今でも
各地で行われているし、私もこの法案は廃案にしたい。

でもね、「私たちの国に戦争はいらない」ってプラカードを見た時に
なんか違うと思っちゃったんだよね。

戦争はどこの国にもいらないんだからさ。ブツブツ…。

『メモリアル病院の5日間 生か死か─ハリケーンで破壊された病院
に隠された真実』(シェリ・フィンク KADOKAWA)読了。

極限状態に置かれた時、人間は命の選別をしてもいいだろうか。
助からないかもしれない命よりも、確実に助かる命を優先すべき
なのだろうか。

2005年8月29日、ハリケーンカトリーナに襲われ、市内の約8割が
水没したニューオリンズ。映像は今でも覚えている。そのなかには
本書が取り上げるメモリアル病院もあった。

病院スタッフ・患者・周辺から避難して来た住民のすべてが救助された
あとには、45体の遺体が残されていた。同じように被災した病院に比べ
遥かに多い死者数は不審を招いた。あの時、病院内では命の選別が
行われていたのではないか…と。

重症患者から移送する。被災した病院は当然そうするものだと思って
いた。確かにメモリアル病院でも当初は重症患者を優先して搬送する
努力がなされていた。

水道・電気が止まったなかで病院スタッフは患者を少しでもリラックス
させようと努力もしていた。しかし、時間の経過と共に考え方が切り
替わってしまう。

患者に施されたトリアージは救助する患者の優先順位に他ならな
かった。自力で歩ける患者、車いすに座っている患者を救助する。
その他は…。

「私たちはこれをしていいのか?」。安楽死の処置が始まった時に
ひとりの男性医師が看護師に問いかけた言葉だ。医療従事者で
あるのなら、命を救うことが使命ではないかと私も思う。

例えば心臓や肺が機能を停止したら蘇生処置を施さないで欲しいと
の意思表示をしている患者でも、死期を早めるような処置をしても
いいとは思わない。それは自然死ではないからだ。

亡くなった患者のなかには最後の救助が行われた日の朝まで、
死の兆候がなかった患者もいたのに、何故、彼ら・彼女jらは医師の
手で死を早められなくてはならなかったのか。

ハリケーンカトリーナ襲来の際にはアメリカ政府・州政府・ニュー
オリンズ市のそれぞれの対応が非難された。避難命令の発令は
確かに遅かった。避難場所も避難方法も確立されていなかった。

だが、メモリアル病院は救えたはずの命をみすみす見捨てたのは
ないだろうか。その証拠に「スタッフが疲れているから」との理由で
夜間のヘリによる救助を断っている。

しかも電気が止まったとはいえ、敷地内の一部の施設では電気が
通じている場所もあった。そこへ患者を移動させることもせず、
貴重な酸素ボンベは病院スタッフが暑さをしのぐために使われた
りもしていた。

不必要な殺人だったのではないかと思う。しかし、第2級殺人で
逮捕された女性医師とふたりの看護師はのちに不起訴となって
いる。

医療を受ける側の人間として、納得がいかない。もし、今、巨大な
自然災害が起こったら私たちはやはり命を選別されるのだろうか。
そんなことを考えながら読んだ。