70年を経ても還れぬ人々

沖縄慰霊の日に続き、今日の広島原爆の日の式典でも野次を
浴びせられた日本国首相・安倍晋三

この後の長崎でも?そして、終戦の日にも野次が飛ぶのかしらね。

『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』(堀川恵子 文藝春秋)読了。

2015年7月、広島市は氏名が判明しながら引き取り手のない遺骨
815柱について、遺族やゆかりのある人を探す作業をすると発表
した。

人類初の原子爆弾の実験場になった広島。強烈な熱線と放射能
浴び、犠牲になった方々の遺骨が納められているのが平和記念
片隅にある原爆供養塔だ。

ある時から、そこに毎日姿を見せる小さなおばあさんがいた。佐伯
敏子さん。自らも被爆し、内臓のあらゆるところにがんを発症した。
しかし、彼女は原爆供養塔を掃除すると共に、その地下に安置され
た引き取り手のない遺骨の遺族を探し続けた。それも、ほぼ独力で。

現在、原爆供養塔の前に彼女の姿はない。雨の日も、風の日も、
原爆供養塔に通い、修学旅行で訪れた生徒たちに被爆体験を
語った佐伯さんは高齢者向けの施設に入所している。

著者は佐伯さんの想いを引き継ぐ。遺族を探す過程とその顛末、
そして遺骨になったであろう人の歩んだろう道筋を丹念に描いて
いる。

広島と長崎の原爆投下については、本も読み、写真も見、映像も
観て、テレビニュースやドキュメンタリーを通じて知っているつもり
になっていた。

だが、それはあくまでも「つもり」だった。何も分かっちゃいなかった。
そもそも原爆供養塔の地下に、多くの遺骨が眠っていることを
まったく知らなかった。

そして、その遺骨となった人、ひとりひとりに1945年8月6日8時15分
まで、それぞれの人生があったことに思い至らなかった。

膨大な数の死者数。数字として表せばなんとも味気ない。だが、そこ
には生きた人の証しがあり、家族があった。今まで、ひとりひとりの
背景にまで考え及ばなかった浅はかさに気づかされた。

原爆供養塔を守り続け、死者と生者を繋ごうとした女性の執念、
そしてその女性に対する著者の誠実さ。濃密で緻密なノンフィ
クション作品だ。

あまりの濃さに、この作品をうまく語れない。とにかく読んで欲しい。
戦争を、原爆を、知りたいと思っている人すべてに読んで欲しい。

「戦争という現場では、決断を下す者と、その結果を引き受ける
者はいつも異なる。彼らの存在は記録に残されていないどころか、
あまりに膨大な日本人の犠牲によって上塗りされてしまったよう
にさえ思えるのである。」

「戦争がもたらす不条理は、いつも非力な立場にある人たちへと
押し寄せる。究極の戦乱におかれた時、戦争指導者は国民の命
を最優先するだろうか──。そんな疑問を、現代へと照射しない
ではいられない。」

著者の言葉を噛みしめる。そうだ、この供養塔に眠る人々は
原爆で「死んだ」のではない。「殺された」のだ。