絶望の地で見出す希望

この間、夏季オリンピックをやったばかりの北京で今度は
冬季オリンピックだそうだ。

雪降るのか、北京。それ以前にアジアでのオリンピックが
こんなに続いていいのか。

『牛と土 福島、3.11その後。』(眞並恭介 集英社)読了。

出荷制限のかかった原乳が廃棄される。そんな映像を覚えている。
2011年3月11日に発災した東日本大震災、その後に起きた東京電力
福島第一原子力発電所の事故の影響だった。

安全神話に依存し、原発の危機的な状況を想定してこなかった
この国は、明確な避難計画もないままに避難区域を拡大させ、
人々は帰還の目途も知らされず生まれ育った故郷を離れる
ことになった。

住人のいなくなった避難区域に取り残されたのは動物たちだった。
ペットは勿論、家畜も置き去りにされた。

犬や猫のペットが家族同然なら、家畜もまた畜産業に携わる人たち
にとっては家族同然だ。手塩にかけて育てた牛や豚。それなのに国は
警戒区域内の家畜の殺処分の指示を出した。

本書は国による殺処分に同意せず、警戒区域内で牛の世話を続ける
飼育者たちと、牛たちを追ったノンフィクションだ。

食肉としては出荷できなくなった牛を生かし続けることに意義はある
のか。国は「ない」と判断したからこそ、安楽死処分という指示を
出したのであろう。

だが、牛の命を守ろうとした人たちは警戒区域内で牛を生かし続ける
新たな意義を見出す。

放射性物質に汚染され、手入れをする人間がいなくなった田畑。
放っておけば雑草が生い茂り、再び農地として利用しようとすれば
多くの手間をかけなくては再生できない。

しかし、牧柵で囲った田畑の中では牛たちが自由に草を食べ、いつ
人が戻って来てもすぐに農地として使用できるような田畑となる。
循環型農業の基礎が出来上がる。

一方で、殺処分に同意した人たちとの間に溝が出来ているとも言う。
どちらが正解だったのか。部外者である私には判断は出来ない。

殺処分ばかりではない。自分たちが避難する際に、人家に迷惑を
かけないよう牛舎に牛をつないだままだった人もいれば、どうにか
生きてくれと牛たちを解き放して避難した人たちもいた。

それぞれに苦渋の決断だったのだろう。そして、殺処分に携わった
人たちも心を痛めていたことを知った。

「生きている牛のために、土は緑の絨毯を敷きつめてくれた。死んだ
牛のために、土は布団を用意し、土の国へと招き入れてくれた。
牛は土に還り、土はまた牛に還る。
牛の外にも内にも大地がある。
牛は大地そのものだ。」

汚染された大地で生きる牛と牛飼いたちの想いが濃縮された秀逸な
ノンフィクションだ。

尚、チェルノブイリ原発事故の時には地域内の家畜は全頭移送され
たそうだ。それなのに、日本は無策のままあの時まで過ごして来た
のだよね。