憧憬を追い続けた旅の最終章

自衛隊を軍隊にして誇りを取り戻そうと言う人がいる。意味が
分からない。他の国と同じで何が誇らしいのだろう。僕は自国の
民族や文化を愛している。でもこれを誇るつもりはない。なぜなら
世界中の国が、独自の民族や文化を持っている。歴史も同様だ。
 誇ることはひとつだけ。不安や恐怖に震えながらも、歯を食いし
ばって世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は
何よりも誇りに思う。」

以前読んだ森達也『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」
と叫ぶ人に訊きたい 正義という共同幻想がもたらす危機』のなかの、
「九条の国、誇り高き痩せ我慢」と題された章のなかの一文。

誇り高き痩せ我慢。それでいじゃないか。

『キャパへの追走』(沢木耕太郎 文藝春秋)読了。

「崩れ落ちる兵士」。スペイン内戦時に撮影された1枚の写真は、
素寒貧だったユダヤハンガリー人の成年を一躍有名にした。

ロバート・キャパ。40歳でインドネシアに散った写真家を代表する
作品は多くの謎を秘めていた。たった1枚の写真の真実を追う旅
を描いたのが2013年に発行された『キャパの十字架』だ。

本書はその姉妹編というところか。40年という生涯のうちにキャパ
が遺した作品のなかから39の写真が撮影された場所を訪ね、
キャパの足跡を追っている。

前作の『キャパの十字架』もだが、私の紀行文のバイブル『深夜
特急』に始まり、沢木さんの旅は本当に憧れるわ。

写真に切り取られた風景や建物を頼りに、列車に乗り、バスに乗り、
タクシーに乗り、街を歩く。

そして、その当時のキャパを思い、撮影された時代を考える。なんて
贅沢な旅なんだろう。

勿論、キャパが撮影した頃と、沢木さんがその街を訪ねた時期では
風景も建物も違っている場所もある。それでも、当時のままの姿で
残る場所があるんだよね。

キャパが立った場所、その同じ場所に立つ。いいなぁ、私もやりたいわ。
但し、時間とお金があって、言葉が出来れば…だけど。

どの章も味があっていいが、「雨のパレルモ」と題されたシシリー島で
の話がいい。レストランのウェイターは粋だし、写真を片手に街の風景
を見比べているとワラワラと人が集まって、車が通れなくるほどの黒山
の人だかり。

その時、沢木さんが手にしていたのは第二次世界大戦時にシシリー島を
解放した連合軍を、歓呼で迎える人々を写した写真。偶然にも沢木さん
も、シシリーの人々に取り囲まれちゃったのね。

終章はキャパ終焉の地であるインドネシアではなく、ニューヨーク郊外
にあるキャパの墓。この墓地への巡礼の文章が途轍もなく素晴らしい。
読み終わって、しばらくの間、感慨に耽った。

キャパを追う、長い長い旅。沢木さんの裡では、本書で一旦、ピリオド
なのかもしれない。