あれから40年が経った

「今後の開催はしないで欲しい。こちらから揉め事の原因を
作るのは止めて欲しい」

自民党佐藤勉国対委員長憲法審査会の「開店休業」を
要請した。

先日の高知での公聴会でもご自分たちに都合の悪い意見が多かった
からかね?

「こちらから揉め事の原因を作る」?そりゃ「平和」とか「安全」とかの
口当たりのいい言葉で誤魔化そうとしている戦争法案を提出している
こと自体が「揉め事の原因」なんじゃないかね?

『戦場カメラマン沢田教一の眼 青森・ベトナムカンボジア』(斉藤光政/
沢田サタ 山川出版社)読了。

2015年の今年はヴェトナム戦争終結から40年目である。亡きデイヴィッド・
ハルバースタムが「泥沼」と表現し、その言葉通りにアメリカ軍が泥沼に
嵌って行ったインドシナでの戦い。

日本からも多くの記者・カメラマンがインドシナへ飛んだ。そのうちのひとり
が後に数々の写真賞を受賞し、「世界のサワダ」と称させるようになる
沢田教一である。

その沢田教一の仕事の集大成とも言えるのが本書だ。

「安全への逃避」「泥まみれの死」「敵をつれて」と題された有名な写真は
勿論のこと、前線のアメリカ兵、戦場となった町や村の人々の日常の
表情、インドシナ取材の拠点ともなった香港で撮影された写真も多く
掲載されている。

平均年齢19歳と言われた前線のアメリカ兵たち。なかには貧困からの
脱出を夢見て軍に志願したアフリカ系アメリカ人も多くいたと言われる。
彼らの顔の、なんと若いことか。国が決めた戦争は、どんな理由があろ
うとも若者の命を奪うことに他ならない。

そして、砲撃があろうと、銃撃があろうと、爆撃があろうと、そこで生活
する人々。特に沢田が目を向けた子供たちの表情が堪らない。

本書にはインドシナへ赴く前、故郷・青森の風景や花を撮った作品も
収録されている。

それにしてもアオザイを来たヴェトナムの女性たちの美しいこと。
同性でも惚れ惚れしてしまう。

戦場カメラマン・沢田教一、1936年に青森県青森市に生まれる。UPI
サイゴン支局のカメラマンとして戦乱のインドシナを取材する。

1970年10月28日、プノンペンから南に約20kmの国道2号線で何者
かにより狙撃され死亡。

戦争の悲惨さ、酷さを知る為に、忘れない為に、沢田をはじめ、インド
シナで散った記者・カメラマンが遺した作品を繰り返し目にしたい。