信念の西園寺、雰囲気の近衛

取材だったら本社に問い合わせをしてくれないか、テレビ局さんよ。
ここはお客様用の窓口なんだわ。

結構忙しいのよね、私たち。1日の受電件数が200を超えることが
ままあるくらいに。あなたたちが回線を使っている間、待っている
お客様がいるんですけど〜。

紙媒体とは言え、私もメディアの端くれに住む身。取材依頼は
どこに連絡すればいいかなんて、初歩の初歩ですよ。

重臣たちの昭和史 上』(勝田龍夫 文春学藝ライブラリー)読了。

ここ数年、文春学藝ライブラリーの刊行物が秀逸だ。名作の復刊や
未刊行書籍の発行で、私の財布を寒くしてくれている。

本書も名著復刊の作品だ。著者は最後の元老・西園寺公望の秘書
だった原田熊雄の女婿。1977年まで存命だった木戸幸一の証言を
交え、戦後までの昭和史を描いた労作である。

私が大好きな西園寺公望。その門下生であった原田熊雄、木戸幸一
近衛文麿の3人を中心に歴史が進む。上巻は第一次近衛内閣誕生
まで。

原敬が殺害され、浜口雄幸が斃れ、時代は徐々に「邪魔な者は殺し
てしまえ」のテロとクーデターに彩られて行く。次第に力を持った軍
部は陸軍大臣を出さないという方法で、政党政治に挑戦状を叩き
つける。

そんな状態を憂い、昭和天皇の心痛を察し、軍部の暴走をどうにか
抑える内閣の成立に心を砕いたのは西園寺公だ。しかし、西園寺公
も既に老齢。その西園寺公の手足になり、耳になって活動した原田
熊雄のフットワークの軽さと、記憶力の良さに舌を巻く。

だが、軍部の暴走は止まらない。そして発生した2.26事件。軍が要求
する膨大な予算に難色を示し続け、軍上層部さえも小僧扱いした
老練な高橋是清が殺害されたことで遺骨のある政治家がいなくなり、
歯止めが利かなくなった。

自由主義を信奉し、政党政治を愛した西園寺公もさすがに弱気に
なり「元老を辞めたい」と言い出す始末。しかし、西園寺公が自ら
の後継者と考えていた近衛文麿はああっちへふらふら、こっちへ
ふらふら。しまいには軍部に何かを吹き込まれたのか、2.26事件
で罪に問われた軍人たちに大赦を与えよと言い出す始末。

「自重せよ」。西園寺公は何度も近衛に忠告したが、元老の後継者
であるとの自覚があるのかないのか。嫌ことからはとことん逃げる
のだよな。それが、戦後の自死になっちゃのだろうが。

西園寺公好きだけに、近衛公のこの優柔不断は歯がゆいばかりだ。
なんで分からんかなぁ、西園寺公の心の内が。あ、もしかして近衛公
としては西園寺公の存在が鬱陶しかったとか?

戦前の細かい事柄までを網羅しているので、知らないことも多く
読むのに時間がかかった。でも、下巻も楽しみ。