著者の情熱と執念の結晶

安全保障法制の閣議決定に伴って、夕方6時からのニュースの
時間に安倍晋三の寝言を聞く。

よくあれだけの詭弁を弄せること。自衛隊が海外から感謝されている
のは、武器を持たずにインフラ整備に徹したからだろう。

お約束で、吉田茂の言葉を以下に記しておく。

「君達は自衛隊在職中、 決して国民から感謝されたり、 歓迎されること
なく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。 御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎され ちやほやされる事態とは、 外国から
攻撃されて国家存亡の時とか、 災害派遣の時とか、 国民が困窮し
国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、 君達が日陰者である時のほうが、 国民や日本は
幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。」

『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』(大島幹雄 祥伝社
読了。

江戸の昔からロシアを漂流した日本人の話が好きだ。それは大黒屋
光大夫であったり、玉井喜作であったり。玉井喜作については大分
前に本書の著者の作品を読んだ。

なので、本書も期待した。幕末の開港と共に日本人のサーカス芸人
はいち早く海外に飛び出し、各地で喝采を浴びた。なかでも明治43年
にロシアに渡った「ヤマダサーカス」はロシアのみならず、ヨーロッパ
でも多くの観客を魅了した。

だが、時が経つごとにロシアに渡ったサーカス芸人がいたことは
徐々に忘れられて行った。

ソ連邦崩壊直前のモスクワ。著者は偶然にも3枚の写真と出会う。
写っていたのは3人の日本人サーカス芸人だった。ロシア革命
にロシアに来て、革命後もロシアに残った3人だった。

ここから著者はロシアに消えたサーカス芸人の足跡を追う20年
以上の追跡が始まる。

サーカスの呼び屋であり、サーカス研究家である著者ならではの
情熱と執念が全編に貫かれている。

ロシアに消えた3人の日本人サーカス芸人を追ううちに、ロシアを
はじめ、ヨーロッパで日本人サーカス芸人が巻き起こした旋風が
明らかになる。

3人の日本人についても外務省に残されている古い旅券交付の
資料や、サンクトペテルブルクのサーカス博物館の資料、ロシア
革命後に粛清された日本人を追っていた研究者からの資料提供
などで、その足跡が徐々に明らかになる。

この3人が革命後のロシアでどのように生きたのかは少々切ない。
そして、彼らの係累との邂逅で謎だった部分が少しだけ解明される。

しかし、如何せん時が経ちすぎたのかもしれない。なんとなく尻切れ
トンボのようになってしまっている。調査の限界なのかもしれないが。

ただ、日本の曲芸師たちが喝采を浴びた歴史が掘り起されている
ことは注目に値する。埋もれた日本人の歴史に焦点を当てた力作
ではある。