耳を塞ぐな、目を閉じるな

首相官邸の屋上で無人機ドローンが発見された。いつ落ちたのか
不明だとか。

へぇ、首相官邸の屋上って無防備だったのね。だったらプレデター
を…(以下、自粛)。

『「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊き
たい 正義という共同幻想がもたらす本当の危機』(森達也  ダイヤ
モンド社)読了。

森達也の書く内容には毎回どきりとさせられる。本書もそうだ。
それは私にとって都合の悪いことが書かれているからだ。

「当事者のことを慮れ」「当事者の身になってみろ」。大きな事件・
事故・災害等があるとこんなことを書き散らしていることがある。

当事者への共鳴が正義であると思ってるからだ。だが、正義には
もれなく危険が付きまとう。正義だと思い込んだものを振りかざす
時、人は違う意見を排除しようとする。

「まったき正義」はないと思っている。それでも自分の意見が、思想が
正義であると思ってしまうことがある。

だから、森達也が書く文章は耳に痛い。自分の思い上がりを指摘
されるからだ。

本書には非常に都合の悪い話が詰まっている。犯罪者に極刑を
求める第三者、領土問題、善意の伝播、既存メディアの在り様、
北朝鮮による拉致問題等々。

本書に書かれている内容すべてに賛同できる訳じゃないが、
凝り固まった思考を動かすことが出来る。

読みながらまた思い出す。アメリカのニュース・キャスター、
クロンカイトの愛国心についての言葉を。国のやることすべて
に賛意を示すことだけが愛国心ではない。国のやることに疑問
を呈することも、また愛国心じゃないのか…と。

過熱するヘイトスピーチ、煽られる危機とそれに伴う不安の拡大、
そして異なる文化や習慣を持つ人々への根拠のない憎悪。

ここ数年の日本を覆う薄気味の悪さ。異を唱えようものなら
ブサヨ」「非国民」「売国奴」なんて言う言葉を容赦なく浴びせ
られる。

それでもやっぱり「おかしい」と思える感性をなくしたくはない。

自衛隊を軍隊にして誇りを取り戻そうと言う人がいる。意味が
分からない。他の国と同じで何が誇らしいのだろう。僕は自国の
民族や文化を愛している。でもこれを誇るつもりはない。なぜなら
世界中の国が、独自の民族や文化を持っている。歴史も同様だ。
 誇ることはひとつだけ。不安や恐怖に震えながらも、歯を食いし
ばって世界に理念を示し続けたこの国に生まれたことを、僕は
何よりも誇りに思う。」

「九条の国、誇り高き痩せ我慢」と題されたエピローグの一節だ。
そうなのだ。日本が世界に誇る憲法九条。それを変えようをして
いる人たちがいる。

憲法改正反対っ!なんて書くと森達也同様に「頭がお花畑か」
なんて言われちゃうのかな。言われてもいいや。私は九条を
変えて欲しくない。

マイノリティでもいい。でも、声を上げるマイノリティでいたい。