誘い出し、おびき寄せ、増殖する

東京オリンピックが終わったら、神宮球場秩父宮ラグビー場
場所を入れ替えて建て替えるんですって。

舛添東京都知事の会見を見たが、場所を入れ替える必要性が
まったく分からなかったわ。

再開発ねぇ。東京だけ見栄えよくすりゃいいってことですかね。
神宮球場だって、秩父宮ラグビー場だって、歴史のあるスポーツ
の場所なのに…ブツブツ。

『本で床は抜けるのか』(西牟田靖 本の雑誌社)読了。

1匹いたら30匹とか50匹いると言われるのがゴキブリだ。
ゴキブリと一緒にするのは不本意だが、1冊の本の向こう
には何冊もの本がある。

小説をあまり読まなくなった分、ノンフィクションばかりが本棚を
占めるようになった。ほとんどのノンフィクション作品の巻末には
「参考文献」の一覧が掲載されている。

これが時にアリ地獄になる。増えるのだ、読みたい本が。探求書
リストとしてメモするだけならいいのだが、時にはネットの古書店
で衝動買いしている時がある。

本が増えるのはそれだけが理由ではない。本は出合った時に
買わないと次にいつ出会えるかが分からない。出版から数年後
古書店の棚で発見できるのは運のいい方だ。作品によっては
古書価格があまりにも高価で手が出ず、泣く泣く諦めることも。

増え続ける本で書庫兼仕事場として使用していたアパートの床が
本の重みで抜けるのではないかとの危機感を持った著者が、
他の人は蔵書をどのように処分・保存しているのかを追い、
WEBマガジンに連載したものをまとめたのが本書だ。

『随筆 本が崩れる』を著したのは評論家・草森紳一。2DKの自宅
の至る所に本の山だ。その本が、崩れる。何と言っても万単位の
蔵書数である。草森氏ご本人は「僕は本の間で生活させてもらって
いる」と言っていたが、2008年に亡くなって以降の彼の蔵書を整理
した話は非常に面白い。

読んだそばから処分する人、電子化して保存する人。本書に登場
する人たちの処分・保存方法は様々だ。どれも「なるほどな」とは
思うんだが、自宅とは別に書庫を設けるなんて金銭的に無理だし、
電子化する為に本を裁断するなんて考えただけで悲鳴を上げそう
なった。だって、本よ?裁断なんて出来ないわ私には。

著者は取材相手の考えを聞きながら、あっちに揺れたり、こっちに
揺れたりしている。しかし、蔵書をどうにかなくてはいけない状況に
追い詰められていく。

それは、奥様との間に持ち上がった問題だった。まぁ、最後は少々
切ない結末にはなるのだが、書かないでおこう。ただ、著者と奥様
との間のことは蔵書だけが原因とは思えないんだけどね。

あれよあれよという間に本は増えて行く。いや、それは私が買って
いるからなんだけど。しかも、読むペースより買うペースの方が圧倒
的に速いんだよな。

ええ、自覚はしてますよ。ワインじゃないんだから寝かせていないで
読めって、言われなくても分かってますよ。それでもお財布に余裕が
あると油断して買っちゃうのだ。そうして、凝りもせずに「いつか読もう」
と積んでおくのだ。

数年に1回の割合で処分はしている。でも、その処分した作品を再度
読みたくてリサイクル書店で探す。一体、何の為に処分してるのだろう、
私は。

身につまされるテーマでもあり、興味深く読んだのだが読みながら
やたらに引っ掛かる。すーっと読み下せない。なんでだろう?と
思っていたら、著者の言葉の使い方に違和感があったのだ。その
点が残念かな。