『昭和天皇実録』刊行前の「おさらい」

昨夜は一番下の姪の高校合格祝いで実家にて食事会だったので、
帰宅時間が遅くなって日記はお休みした。

これで3人とも義務教育が終わった。いや〜、こうして考えると
改めて歳を取るはずだわと思ったわ。

3人の姪の成長は嬉しいけどね(^^ゞ

昭和天皇伝』(伊藤之雄 文春文庫)読了。

歴代天皇の中でも最長在位、最高齢を誇る昭和天皇。物心ついた
頃から私にとっては「優しそうなおじいちゃま」だった昭和天皇
なのだが、崩御後に出版された様々な昭和天皇関連書籍を読む
うちに「この人を知らなければ自分が生まれ、育った時代を
理解することが出来ないのではないか」と思った。

多くの関連書籍があり、そのうちのいくつかは読んでいるのだ
が、宮内庁が編纂した『昭和天皇実録』が今月から一般刊行
されるのを前に「おさらい」として本書を読んだ。

本書は可もなく不可もなく…というところだろうか。公開されて
いる資料、既刊の出版物等、多くの資料を読み込んで書かれている
ので巻末の参考文献を見ると既に読んでいるものも少なくなかった。

ただ、89年の生涯を追うには少々駆け足だったかなと感じる。
読みようによっては既刊刊行物からの切り張りと取れないこと
もない。

大正天皇崩御により若くして即位した昭和天皇が多くの迷い
や悩みを抱えながらもイギリス流の立憲君主であろうと務めた
姿は、やはり持って生まれた生真面目さの所以なのだろう。

その生真面目さは2.26事件の際には激情となって発露された
のではないか。一部の青年将校たちの暴走により重臣たちが
襲われた事件に対しての怒りの激しさは、当の青年将校たち
も考えてもみなかったことだろう。

崩御の約5か月前の8月15日。既に病の為に皇太子であった
今上天皇が名代として公務を務めていた。だが、この日だけ
は静養先の那須御用邸からヘリで東京に戻り、式典会場に
臨席された昭和天皇の姿に先の大戦で犠牲になった人々へ
の祈りへの執念を見た記憶が残っている。

何で読んだか忘れたのだが、内容だけは覚えている昭和天皇
エピソードがある。病の床に就いた昭和天皇が見舞いに訪れた
香淳皇后の手を握り「良宮(ながみや。香淳皇后のお名前は
良子と書いて「ながこ」様)、元気でね」と語りかけという。

周囲が決めたご結婚だったが、晩年まで仲の良いご夫妻だった
という。早い時期から高齢者特有の症状を呈していらした香淳
皇后を残して行くご心配もあったのだろうなと思う。

どこに軸足を置いて描くかでまるっきり人物像が異なる昭和
天皇。本書はなるべく俯瞰して描こうとしているようだが、
注釈を読んでいるとどうもアメリカ寄りの視点のような気が
してならない。