上手な「安全神話」の作り方

言論の自由」って市井の人々の言論の自由を保障するもの
だと思うんだよね。権力者に「それは私の言論の自由だ」って
言われると物凄く違和感がある。

先の総選挙の際、テレビ出演して番組で流されたアンケートVTR
が自分の意に沿わない内容だからって気色ばんだ安倍晋三の発言
は「言論の自由」で片づけていいものじゃないけどね。でも、
本人は「言論の自由」だと言う。

じゃ、あれか。国会での「ニッキョーソ、ニッキョーソ」って野次
言論の自由なのか。ふ〜〜〜ん。

原発津波 警告を葬った人々』(添田孝史 岩波新書)読了。

福島第一原子力発電所の過酷事故は想定外の津波が原因だった。
事故以降の東京電力の言い分だ。津波以前に、地震で配管の
一部が損傷していたのではないかとの疑問は解明されていない。

そもそも、川に面し津波の心配のないアメリカ型の原子炉を
そのまま日本に持って来たことが第一の誤りだと思うのだけ
れどね、私は。

だって、あれだけ海のそばに建つ原子力発電所の非常用発電
装置が地下にあるってことがおかしいだろう。

そういった基本的で個人的な疑問は置くとして、では東日本
大震災で発生した大津波は本当に「想定外」だったのかを
検証したのが本書である。

東日本大震災後、貞観津波が各メディアによって取り上げられて
いた。だが、貞観津波については古文書にその記述があるのみ
で研究は始まったばかりであったから貞観津波を念頭に置いての
津波想定は出来なかったと言われた。

だが、同じ東北地方にあった東北電力女川原子力発電所
福島第一原発のような被害を受けていない。それは東北電力
貞観津波を念頭に置き、それに備えた対策を取っていたから
だった。

東京電力東北電力の対策を知らぬ立場にあったのではない。
知る立場にあったし、対策を取ろうと思えば取れたはずだ。
そうしていれば津波による(あくまで東電の言い分)全交流
電源喪失には至らなかったのではないか。

安全対策にはお金がかかる。地域独占企業とは言え、コスト
ダウンは企業の至上命題。莫大なコストのかかる安全対策
など、取らぬに越したことはない。

地震津波の研究者からは福島第一原発が建設された当初に
想定した以上の地震津波が起きる可能性があることが言われ
ていた。

それは政府機関の報告でも行われていた。しかし、既存の
想定を上回る想定を出されると都合が悪い人たちがいた。
それが電力会社に他ならない。

本書は津波地震の研究者へのインタビュー、各種情報の
開示請求を行って、東京電力が繰り返す「想定外」という
言い分がいい加減であるかを暴いている。

何度も繰り返された議論。その度に火消しに回る電力会社。
備えられることをせずに、すべて自然災害が原因であると
の責任逃れをする企業の姿勢は許されることじゃない。

安全神話」がいかに作為的なものなのかを実感する。
「絶対の安全」がないことくらいは知っている。だったら、
危険をより少なくするか。それを考えなきゃいけないんじゃ
ないのか。

この点だけを考えても、やはり福島第一原発の事故は人災
だったと思うんだけどね。東京電力はそれでも当事者意識が
希薄なようだが…。(-_-;)