悲劇は50年前から始まっていた

ん〜、日本が武力攻撃を受けていなくても自衛隊が防衛出動
出来るって何?これ、もう「自衛隊」じゃなく普通に「軍隊」
だよね。

分からないよ。助けて、アルジャーノン。

『福島と原発 誘致から大震災への五十年』(福島民報社編集局
早稲田大学出版部)読了。

おもな産業は第一次産業。農閑期になれば男手は都会の建設
現場へ出稼ぎに行く。自治体の財政は危機に瀕し、将来には
暗雲が垂れ込めていた。

そこへ持ち上がったのが原子力発電所の建設だった。出稼ぎに
行かなくてもいいように雇用も生まれる。固定資産税等の税収
で財政も持ち直せる。

原子力と聞けば原爆に結び付くが、原子力発電所は安心・安全
だと言う。ならば、地域を活性化する為に共存共栄出来るので
はないか。

しかし、夢のエネルギーだった原子力発電所はあの日、すべて
の夢どころか、故郷さえも奪った。

地元紙による、福島と東京電力福島第一・福島第二原子力発電所
の50年の歴史をひも解いた連載記事の書籍化である。

福島第一原発事故を扱った作品では事故後の国と立地自治体の
両方の動きを時系列で追ったものが多いが、本書は地元紙で
あるだけに福島はどうして原発を受け入れたのかから始まり、
原発マネーに絡めとられて行く自治体の姿も描いている。

関東で、原発から送られてくる電力を消費している身として
は立地自治体の動きを批判できる立場ではない。だが、ある
程度の年齢になってから原子力発電所の安全性に懐疑的だった
身としては、何故、安全神話に頼り切ってしまっただのだろう
との思いが残る。

立地自治体は原発マネーで恩恵を受けたではないかと言う人が
いる。だからといって、故郷が汚染されていいはずはない。

結局は原発を受け入れた自治体はこの国のエネルギー政策に
翻弄されていたのではないか。安全基準は国が作る。だが、
そこには原発に批判的な研究者の意見は取り入れられない。

過酷事故を想定するだけでも禁忌だった。だから、複数の
原子炉が同時に深刻な状況に陥る想定なんてしなかった。
その想定しなかったことが起きてしまったんだよね、あの
3月11日に。

悲劇は2011年3月11日に起きたのではない。日本が原子力
平和利用を考えた時から始まっていたのだ。

新聞連載だったので繰り返しの部分が多いのは仕方ない。
それでも、悔恨の思いを抱える多くの人に取材し、福島と
原発の歴史を丹念に追った力作である。