次々に襲う不運。それでも走りたい

「こっちも命がけなんだぞ」

新潟県警の人が怒っていた。スノーボードをしていて行方不明
になっていた男女3人に向かって。

「雪山を甘く見てました」とは遭難した本人の弁。10代・20代
ならわからんでもないが、全員40代でしょ。毎年毎年、雪山での
遭難が報じられているのに何をしてるんだかなぁ。

登山届を出したと嘘までついてさ。これこそ「自己責任」なの
じゃないの?四十にして惑わずどころか、迷いっ放しか。

『冬の喝采 運命の箱根駅伝 上』(黒木亮 幻冬舎文庫
読了。

我が家の正月の恒例行事である箱根駅伝のテレビ観戦。
勿論、今年も観戦した。箱根駅伝の2日間が終わると
「あぁ、正月休みももう終わるんだなぁ」と少々
寂しくなる。

その箱根駅伝出場者でもある著者が、自身の陸上競技人生
を振り返って綴ったのが本書だ。「自伝的小説」と銘打って
はいるが、限りなくノンフィクションのような気がする。

だって、小説としてなら中長距離走のタイムを綿密に記して
も、経験者でないとそのタイムがどれくらい凄いかって
分からないと思うんだ。

著者を取り巻く人々も実名で登場する。日本陸上界の星
であった、あの瀬古利彦も。

北海道の雪深い町で生まれた。勉強は出来たが、運動は
苦手だった。運動会の徒競走では後ろから数えた方が
早い順位だ。

しかし、中学一年生の時に体験した長距離走で優勝し、
その後、たまたま書店で手にした雑誌「陸上競技マガ
ジン」で陸上競技の世界に魅せられた。

地元の走友会の人たちと練習を重ね、大会に出場し、
そこそこの成績を残す。進学した高校では陸上部に
所属し、インターハイを目指すも原因不明の土踏まず
の痛みの為に満足な練習も出来なくなる。

治るめども立たない怪我への苛立ち、走ることへの
欲求。当時の練習日誌の記述が著者の当時の苦しみを
伝える。

そうして、進学した早稲田大学で陸上同好会で徐々に
走ることを始めた著者は、思い切って競走部の門を
叩くことになる。

名門と言われた早稲田も、当時はその名誉が地に堕ちて
いた。強い早稲田の復活の為に、監督として招聘された
のは敵も多い中村清。

この人に関するエピソードはいくつか聞いたことがあるが、
本当に強烈な個性の持ち主だ。あの瀬古でさえ、競技後に
すぐに監督に挨拶にに来なかったからと罵倒するんだもの。

怪我や体調不良に悩まされ、遂に退部を申し出た著者に
対して「部を辞めるんだったら、お前の就職を徹底的に
潰してやる!」って…。怖いよ〜。

一度は退部を口にしたものの、瀬古の説得もあって著者は
再び陸上競技を続ける決意をする。だが、著者の目標は
箱根駅伝ではなかった。

北海道の大会へ出場すること。中学生の時だけの選手では
なったことを証明することだった。

次から次へと不運に襲われ、時には陸上競技から離れようと
する。しかし、陸上競技から離れれば走りたいという欲求
が頭をもたげて来る。

走ることもそうだが、運動全般が苦手な私には走ることの
魅力は理解出来ない。それでも何かに魅せられ、思うように
ならないという著者の葛藤は理解できる気がする。

さぁ、下巻はいよいよ箱根か。