言論が封じ込められた時代

外へ出たら霧。濃霧とうほどではないが、自転車で走るのが
少々怖かった。

帰宅して夕方のニュースを見てびっくり。同じ埼玉県でも
さいたま市は霧のせいで幻想的な風景になっていた。

見る分には綺麗だけれど、派遣先ではいささか大変なことに
なっていたので今後は勘弁して頂きたい。

でも、気象は操れないものなぁ。

『言論抑圧 矢内原事件の構図』(将基面貴巳 中公新書)読了。

我が愛する桐生悠々は「関東防空大演習を嗤ふ」という社説を
書いて、信濃毎日新聞を追われた。

ただの温泉旅行の写真が共産主義者の集まりだとされたのは
横浜事件

美濃部達吉天皇機関説は国体に反するとされ、不敬罪
告発された。

国が戦争へと向かった時代。言論・出版・集会の自由は
幾重もの鎖で絡めとられ、国が向かう方向に異を唱える
者には厳しい視線が向けられた。

1937年。東京帝国大学経済学部のひとりの教授がその職を
辞した。矢内原忠雄。戦後、強く請われて東京大学の総長
となった人物だが、彼は雑誌に掲載した論文と講演での
発言を問題視され象牙の塔を追われた。

無教会主義キリスト教内村鑑三に師事した矢内原は信仰
に根差した平和主義者だった。日に日に軍靴の響きが高く
なる日本に警鐘を鳴らそうとした。「ひとまずこの国を
葬って下さい」と。

右翼の論客・蓑田胸喜に批判されたばかりか、同じ東京帝大
経済学部の教授たちのなかからも矢内原に批判的な意見が
続出する。

矢内原が教授会で陳謝することでことは収まるはずだった。
それが一転、辞職となったのは何故か。

周辺の人々が書き残したこと等の資料を引き、俗に矢内原
事件と呼ばれる一教授の辞職へ至る経緯を追っているのが
本書。

大学の自治vs国家権力だけではな。東京帝大内部の派閥
抗争、理想主義者と国家主義者の愛国心の軸足の違い。
それらが重なって事件は起こったのかと思える。

興味深い題材ではあるのだが、文章の読み難さで文脈を
理解するのに時間がかかった。

戦時下での出来事を現在に置いて語ることは無意味かも
しれない。しかし、シンクロする部分もあるのではないか。

安倍政権になってから、政府のやることに異論を唱えると
「日本人じゃないだろう」「左翼か」との雑言を見かける
ことが多くなった。

何度も引用しているクロンカイトの言葉じゃないが、国の
やることを無条件で受け入れるだけが愛国心じゃないと
思うんだよね。

言葉を封じ込めようとするのは、何も戦時下だけじゃない
のだよなぁ。