不撓不屈の聖母の騎士

昨夜は実家へ行っていたので遅くなった。

天気予報通り、大型で強力な台風はお昼までに関東地方を
通過した。早朝の出勤は雨こそ降っていたが、風はそれほど
強くなかった。

それでも普段より1本早い電車で出勤。風雨が一番酷い時は
仕事中だったので実感はないのだが、帰宅してニュースを
見ると被害は大きかったようだ。

それにしても台風が来ているというのに海に遊びに行って
行方不明って…。これこそ「自己責任」なんじゃないの?

『ゼノ死ぬひまない<アリの町の神父>人生遍歴』(松居
桃楼春秋社)読了。

一神教に馴染めない。信仰心はさっぱりない。祈るとしたら
八百万の神。それでも「ゼノ神父」の名前だけは知っていた。

以前、戦災孤児の話を読んでいた時に頻繁に出て来た名前
だった。どんな人なのか。気になりながら今まで来た。

生まれたのはポーランド第一次世界大戦が始まるまで、
生家は豪農の部類に属する階級だった。だが、戦争がすべて
を変えた。

鉄工所、製靴業等、職を転々としながら、ある日突然、神父に
なることを目指す。そこで運命の出会いがあった。

アウシュビッツで身代わりとなり亡くなったコルベ神父の下
に身を寄せることになる。

そして、昭和5年。宣教の為にコルベ神父らと共に長崎に来日。
コルベ神父帰国後も日本に残り、長崎への原爆投下で被爆

戦時下、外国人であることを理由に収容されもしたが、その後は
長崎のみならず、日本各地へ足を運び貧者の救済に全力であたった。

服も、靴も、かばんもぼろぼろ。でも、白く長い顎鬚を蓄えた
ゼノ神父の全身には情熱が溢れていた。

口がさない人たちからは売名行為だとも誹られもしたが、何を
言われようとゼノ神父を突き動かしたのは「目の前の困っている
人を救いたい」との思いだったろう。

都合が悪くなると日本語が分からなくなったり、時には場当たり
的な行動もあったりするが、愛すべき人物だ。

「ゼノいそがし、死にひまない」。宗教を問わず、被曝者を、
戦災孤児を、身寄りのない高齢者を救い続けたゼノ神父。

異国で、たどたどしい日本語と無償の愛を武器に生き抜いた人は
再び故郷の土を踏むことなく昭和57年4月24日、天に召された。

「聖母の騎士」は召された天で、ゆっくりと休めているのだろうか。
それとも、コルベ神父と再会してまた忙しくしているのだろうか。