優しい山の険しい顔

みっともない釈明記者会見を開いた兵庫県議が、イギリス・BBC
トップページを飾っていた。あぁ…恥かしい。

「自殺に追い込まれる恐れがあるので、取材は自粛して下さい」

ご本人は報道各社にそんな申し入れて雲隠れ。これ、周りが言うなら
いいけど、当人が言ったらダメでしょう。

その野々村議員、今度はとんでもない金額の切手代が出て来た。
どれだけほこりが出る体なんだろう。

先日、問題とされた日帰り出張についてもいろんなところで検証が
始まった。

出張していたという日に近所のスーパーで買い物してたとか、当日は
大雨で特急がほぼ運休で日帰りは無理…だとか。

さぁ、まだまだ何か出て来そうだな。

『空と山のあいだ 岩木山遭難・大舘鳳鳴高生の五日間』(田澤拓也
 角川文庫)読了。

津軽富士と言われ地元で親しまれている岩木山。1,625mの単独峰は
登るのに難しい山ではない。

しかし、この山で遭難事故が発生した。東京オリンピックを控えた
1964年1月。山頂への登頂を果たした大舘鳳鳴高校山岳部の
5人が、吹雪の中で遭難した。

夏の岩木山になら経験している山岳部員だったが、冬山には
初めての挑戦だった。それが5人中4人死亡という悲劇を起こした。

本書は唯一の生存者の証言を元に、遭難の様子、単独での下山の
みちのり、大規模捜索の模様を綴っている。

福岡大学ワンゲル部ヒグマ襲撃事件は知っていたが、この岩木山
遭難事件は知らなかった。

若気の至りと言ってしまったらそれまでだろう。装備などは今とは
比べられないくらい貧弱なのだろうが、それでも準備不足は確か
にあったし、経験も不足していた。

下山の際に吹雪を警戒して山頂の石室にこもっていれば、こんな
大事故には至らなかっただろう。普段、慣れしたんだ山であった
からこその油断があったのかもしれない。

著者は一切の判断をしていない。知りえた事実を淡々と綴って
いるだけ。そのなかで引っ掛かったのは、学校側の対応だった。

生死の境をさまよいながら、やっと下山して来た生徒に対し教師は
「学校は登山を許可していないと言え」早々と指示している。
その後、校長も同じ内容を主張することになる。

「雪山で火をおこすことも知らなかったのか」とOBが悲しみを
湛えて語った山岳部員たち。確かに学校への届けは「スキー
訓練」だったのだが、学校側がいち早く保身に回ってしまったら、
生徒や家族の立場ってないよね。

死亡した4人の遺体はばらばらの場所で見つかっているのだが、
寒さと疲労で意識がもうろうとなりながらも互いをかばい合って
いた彼らの心境を思うと切ない。