われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

「電力の安定供給の為に原発の再稼働を」

原子力規制委員会のなかでも再稼働の審査に厳しかった人が
去ったタイミングで、財界からこんな発言が出て来た。

いいのう、大企業のエライ人たちは。自分は安全なところにいて、
再稼働を叫ぶんだから。あ、叫んじゃいないけど。

経団連会長はじめ、エライ人たちは一族郎党(勿論、子供も含む)
引き攣れて原発立地自治体へ移住してから言ってみろ。

『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』
加藤直樹 からころ)読了。

1923年9月1日11時58分。神奈川県相模湾沖を震源とした
マグニチュード7.9の大地震が発生した。関東大震災である。

地震そのものの被害もさることながら、昼食時と地震発生が
重なった為に各地で大規模な火災が発生した。

混乱を来す人々の間で不安を煽る「噂」が流れる。「朝鮮人
暴動を起こす」「朝鮮人が井戸に毒を入れている」。

本書は根も葉もない流言飛語が引き金となった、日本国内で
のジェノサイド「朝鮮人虐殺事件」について多くの証言を積み
重ねて実態をつまびらかにしている。

朝鮮人虐殺事件があった。そのことは知っていた。大地震
の集団ヒステリーが引き起こしたのだろう。そんな感覚しか
持っていなかった。

だが、事実はあまりにも凄惨だった。当時、朝鮮半島は日本の
植民地であった。その植民地から来た人々は、ただでさえ被差
別者であった。

短期間間で朝鮮の人々に向けられた日本人の憎悪は、差別者
としてのうしろめたさや罪悪感の裏返しか。

民族が違えど同じ被災者だったはず。それなのに、単なる「噂」
だけで何故、暴力を振るえるのか。何故、命を奪うことが出来る
のか。

優しく、大人しいアメ売りの青年は自警団に惨殺された。身の安全
を守ってもらおうと警察に自ら出向いた人たちの中から、人身御
供のように荒れ狂う民衆の手に差し出された人々がいた。

そうして、政府も、警察も、軍も、新聞も、事実を隠ぺいした。
殺された人数にまったく見合わない何人かが起訴されはした
ものの、非常に軽い処罰で済ませている。

ある自治体がこの朝鮮人虐殺の記述がある中学校の副読本を
回収したとのニュースが、しばらく前にあった。私たち日本人が
やったことを教えぬことが教育なのか。「自虐史観だ」とでも言う
のだろうか。

反省するべきことは反省する。それが歴史から学ぶことでは
なかったか。

朝鮮人 あまた殺され
その血百里の間に連なれり
われ怒りて視る、何の惨虐ぞ

デマを信じ17人の朝鮮人群馬県内で殺害された事件への
怒りを作品として発表したのは萩原朔太郎である。

90年前、私たち日本人はなんの証拠もないのに朝鮮人
殺した。そして、今、やはり何もしていない韓国の人々に
向かって「出て行け。殺せ」と叫ぶヘイトスピーチを行う
人々がいる。

レイシストたちは分かっているのだろうか。場所が違えば
自分たちが差別される立場になるということを。根拠のない
憎しみを育てることが、何の役に立つのだろうね。