短歌をよりどころにして

よく分かんないな。PC遠隔操作事件の片山くん。なんでしょう、
あの自作自演と言われるメールは。

「母親を心配させたくなかったから」なんて言っていたが、召し上げ
決定の保釈金って、お母さんが用意してくれたんじゃないの?

余計に心配かけちゃってるじゃないか。

『ホームレス歌人のいた冬』(三橋喬 文春文庫)読了。

(柔かい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ

2008年12月8日付、朝日新聞朝刊の歌壇欄に掲載された
入選作の一首。投稿者は「公田耕一」、住所はホームレス。

リーマンショックが世界中を不況のどん底に落とした年、
派遣切りや雇い止めが連日、新聞を賑わせた。そんな
時期に登場したホームレス歌人の歌は、歌壇欄に目を
通す人、自作の歌を投稿する人たちのみならず、普段
は短歌などに興味を持たぬ人たちの注目を集めた。

入選が続くなか、朝日新聞は紙面で呼びかけた。
「ホームレス歌人さん、連絡求ム」と。

そして、初入選から9か月後、突然に投稿が途絶えた。

我が家の購読紙は朝日新聞である。この呼びかけ記事の
ことはぼんやりと覚えていた。そして、姿を現さない歌人
いたことも。

本書は「公田耕一」と名乗るホームレス歌人の実像を追って、
横浜のドヤ街・寿町界隈で手がかりを探し続けた探索の記録
である。

物書きとして崖っぷちだった著者が、最後の望みを掛けた
企画。消えたホームレス歌人を追うことだったのだが、「公田
耕一」の足跡を追ううちに、著者は歌人の実像よりも日雇い
労働者の街が、高齢の生活保護受給者の街へと変貌した
寿町の抱える様々な問題に絡めとられる。

結論を言ってしまえば、ホームレス歌人の正体を突き止める
ことは出来ていない。投稿された短歌を元に、こういう人では
ないかと推論を重ねるだけで終わっている。

著者の取材に先んじて、短歌を掲載した朝日新聞の横浜
支局や、写真週刊誌が先行取材をしている。その時点でも
公田耕一」に会うことは叶わず、取材を断念している。

きっと、正体を探れたくはなかったんじゃないかな。新聞の
歌壇欄に投稿して、入選作が掲載される喜びと、その歌が
注目され「ホームレス歌人」という存在が独り歩きし出して
しまったことが不本意だったのかもしれない。

ホームレス歌人公田耕一。それは彼の歌を目にした人々
のなかに様々な感情を呼び起こし、目にした人の数だけの
公田耕一」像を残した。今、彼はどうしているのだろう。

親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす

哀しきは寿町と言ふ地名長者町さへ隣りにはあり

謎は謎のままでいいのかもしれない。尚、「公田耕一」以前
に、やはり寿町で歌を詠んでいた良知満夫の話が興味
深かった。