僕らは、ペンとカメラしか持ってないんです

アメリカ政府による個人情報収集の報道で、英紙「ガー
ディアン」と米紙「ワシントン・ポスト」がピュリツァー
賞を受賞した。

元CIAのスノーデン氏による秘密の暴露。こういう権力を
撃つ報道は好きだわぁ。

『記者たちは海に向かった 津波放射能と福島民
友新聞』(門田隆将 角川書店)読了。

職場で東日本大震災に見舞われた男性は、カーラジオから
流れる津波への警戒のニュースを聞きながら自宅へと急いで
いた。

自宅まで数百メートルまで来たところで、男性の車に向か
って何かを言っている青年の姿が目に留まった。何を言っ
ているのか分からない。しかし、青年は両手を交差させて
「来るな」と合図を送る。

次の瞬間、その背後に光るものが見えた。巨大な津波だった。

青年は地元紙・福島民友新聞の若い記者だ。

自らも被災し、本社の自家発電さえも稼働しなくなり、
明治から100年以上続いた新聞発行の危機を迎えた福島
民友新聞の闘いを描く。著者2冊目の東日本大震災関連の
ノンフィクションである。

河北新報の闘いを綴った作品でもそうだったが、本書でも
打ちのめされた。

地震津波、そして原発事故。次々と襲う過酷な状況のなか、
記者たちは福島の現実を記録し、読者の元に届けるという
使命を果たそうとする。

それは記者たちだけではない。製作の現場もそうだし、
新聞販売店もそうなのだ。被災者でありながら、翌日の
新聞を配達する為に、販売店に駆けつける人がいたのだ。

新聞記者は記録者だ。あの日、津波の取材の為に海へと
向かった。

ある記者は孫を抱え必死に走って来るおじいさんの背後
に迫る津波を目にして、海へと向かっていた車をバック
させて逃れた。だが、後悔とトラウマが残った。

どうしてあのふたりを助けられなかったのか。自分が
カメラへ手を伸ばした一瞬がなければ、ふたりを助け、
一緒に逃げることが出来たのではないか…と。

そして、自宅へ向かっていた男性に「来るな」と合図を
送った青年記者・熊田由貴夫は、津波に飲まれ帰らぬ
人となった。24歳。将来を期待された記者だった。

最後の数十ページは泣けて、泣けて仕方がなかった。
熊田記者の遺体は4月2日に発見された。そして、自分
が助けられたかもしれない二つの命のことを、重い
十字架として背負った記者の心情の吐露が辛すぎる。

余談だが、他の作品にでも熊田記者のことを読んだのを
思い出した。彼の「来るな」という合図で命を救われた
男性は、今でも熊田記者の写真を肌身離さず持っている
という。

「僕らは、ペンとカメラしか持ってないんです」。悔恨
を抱え、今でも苦しんでいる記者が著者に語った言葉が
切ない。