父親たちのシュガーローフ・ヒル

スカイツリーのオープンに合わせて、東武伊勢崎線
一部は「スカイツリーライン」と名称を変更した。
これはまぁ、分かる。呼びたくはないけど。

でも、でも。東武野田線の「アーバンパークライン」
て何だよ?

似合わな過ぎにも程がある。なんでもカタカナにすれば
いいってもんじゃありませんよ、東武鉄道さん。

日本兵を殺した父 ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦
元兵士たち』(デール・マハリッジ 原書房)読了。

子供の頃、屋根裏で見つけた父の古いトランク。中には
日本人のパスポートや日章旗が入っていた。そして、
自宅に作った作業場のひと隅には父が戦友と共に写った
写真が掲げられていた。

父は第二次世界大戦の帰還兵だった。時折、怒りの発作
を爆発させる父。その父は死の間際に沖縄戦で日本人を
殺したと告白する。

父の怒りの発作は戦争に由来するものではないのか。
そして、父が亡くなるまで後悔していた戦友の死。
著者は沖縄戦で父が何を体験したのかを追跡する
旅に出る。

2011年6月にNHKスペシャル「昔 父は日本人を殺し
た」で追跡行の一部を観た。やっと作品として出版
された。

アメリ海兵隊第六師団L中隊。通称ラブ中隊の生き残り
の兵士たちを探すところから著者の旅は始まる。

見つけ出した元兵士たちは、それぞれが人生の最晩年を
迎えていた。これまで家族にも戦争体験を語ったことの
なかった元兵士たちが、過酷であった沖縄戦での体験を
語り、著者の父の体験を肉付けしていく。

日本から、否、沖縄側からの視点でも地獄に等しい
戦場は同じようにアメリカ側の視点から考えても過酷
であり、地獄であった。

日本人に恨みはない。彼らもやらなければやられる立場
だったのがからと語る元兵士もいれば、今でも日本人が
憎いと心情を吐露する元兵士もいる。

そして、著者が訪ねた沖縄でもそれは同じだった。日本
軍よりもアメリカ人に命を救われたと言う人もいれば、
アメリカ人を憎み続ける人もいる。

シュガーローフ・ヒルはそんな過酷な沖縄戦のなかでの
戦場のひとつだが、あの戦場を体験した人たちは国の
違いを問わずに心に、体に、大きな傷を抱えて生きて
来たんだ。

著者の父と一緒に写真に写っていたのは同じラブ中隊に
所属したハーマン・ウォルター・マリガン。軍の公式
記録でも彼の遺骨は行方不明とされている。

著者は一縷の望みをかけて沖縄の地での遺骨発見に
期待を寄せたのだが、それは叶わなかった。しかし、
終焉の地と思われる場所で祈りを捧げることは出来た。

アメリカが「良い戦争」と呼ぶ戦いは、決して良い戦争
ではなかった。故国から遠く離れた場所で、父親たちの
体験したことを追った良書だ。

安全な場所から命令を出すばかりの偉い人たちには、
前線の兵士の苦しみは分からない。そうして、日本でも
アメリカでも貴重な体験を語れる人々が少なくなって
来ている。

やはり戦争に良いも悪いもないんだ。