器は変わっても中身は変わらない

「耐え難いほど、正義に反する」

48年間、無実を訴え続けて来た人の言葉がやっと認められた。
昭和41年に静岡県内で起こった、いわゆる袴田事件の再審
請求が通った。

涙が出た。支援者でも関係者でもないけれど、それでも嬉しかった。
そして、間に合ってよかった。命のあるうちに、拘置所の外へ出る
ことが出来たのだも。

今回の決定をした静岡地裁の村山浩明裁判長は証拠品に関して
「捜査当局の捏造の疑いがある」とまで言った。日本の司法も
捨てたもんじゃない。

ただ、失われた時間は戻って来ないんだよな。警察や検察は、
そこのところをよ〜〜く考えて欲しい。

アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地』(大治
朋子 講談社現代新書)読了。

ウォール・ストリート・ジャーナル」がメディア王、ルパード・マー
ドックに買収された時も衝撃だったが、2013年に「ワシントン・
ポスト」がアマゾン・ドット・コムの創業者にしてCEOのジェフ・
ベゾスに売却されたとのニュースもかなりの衝撃だった。

そして、今年になって中国人実業家が「ニューヨークタイムズ
の買収に関心をしているとの報道があった。

新聞の危機が言われて久しい。近年だけの話ではなく、ラジオや
テレビ、インターネットと新たなメディアが登場する度に新聞は
危機に晒されて来た。

新聞は、いや、報道は生き残れるのか。毎日新聞ワシントン支局
員だった著者が、アメリカのメディアの変遷を綿密に追ったのが
本書である。

インターネットに接続出来る端末があれば、いつでもどこでも
ニュースを見ることは可能だ。だったら、紙の新聞は衰退する
だけではないのか。

だが、新聞社も新たな戦略を考える。より地域に密着した情報を
報道する新聞もあれば、インターネットとの共存を考える新聞社
もある。経費のかかる調査報道を外部委託するという方法もある
し、同じ州の複数の新聞社が記事を共有することも出来る。

興味深かったのはNPOの話だ。日本とアメリカでは寄付金の
制度が違うから難しいところだが、良質な調査報道を続けて
いければ組織を安定させられるんだ。まぁ、日本でも「寄付して
くれ」って掲げている組織もあるけど、胡散臭いところがある
のだよな。どことは言わないけど。

ジャーナリズム=新聞ではない時代が確かに来ている。だが、
器が変わっても中身は変わらない。優れた報道を持続出来
るのなら、新聞も他のメディアと共存していkれるんじゃない
だろうか。

アメリカの新聞社、学識経験者、トップジャーナリスト等、様々
な人々に取材し、自身もアメリカの大学で行われている講座
に参加して多様な観点から書かれた良書。

文章も理解しやすく丁寧な取材もなされているのだが、著者が
毎日新聞の記者っていうのが引っ掛かるんだよな。

「新聞に事実を報道する義務はない」って言っちゃった社長が
過去にいるんだもの。