戦争は終わっても終わっていないことがある

2011年3月11日14時46分。あれから3年が経った。この時を、
この時から続く日々を忘れない。

私に何が出来る訳でもない。でも、忘れずにいることは出来る。

私には子供はいないけれど、今、中学生や高校生の姪たちに
子供が出来たなら、その子供たちに語ろう。祖母が、私に東京
大空襲のことを語ってくれたように。

『花はどこへいった 枯葉剤を浴びたグレッグの生と死』
(坂田雅子 トランスビュー)読了。

『母は枯葉剤を浴びた』を読んだのは、中学生の終わりか
高校生になりたての頃だったと思う。掲載されていた
写真にショックを受けた。

結合双生児はまだいい方。水頭症や眼窩そのものがなかった
り、一つ目、手足の欠損や歪曲した赤ん坊の遺体がホルマリン
漬けにされていた・

食糧の供給元を断つ為と、ゲリラが潜む森林を破壊する為に、
ヴェトナム戦争時にアメリカ軍と南ヴェトナム軍は枯葉剤
大量に散布した。

ダイオキシンを含む枯葉剤の影響を受けた人体は、想像を
絶していた。その影響はヴェトナムの人々だけではない。

ヴェトナム戦争に従軍したアメリカ兵のなかにも、深刻な
影響を残した。本書の著者の夫であり、日本を本拠にして
アジア情勢をリポートし続けたカメラマン、グレッグ・デイビス
もその一人だ。

2003年4月、体の不調を訴えたグレッグは検査の結果、
肝臓がんと診断される。そして、1カ月も経たぬうちに
急逝した。

パートナーの死の原因となった肝臓がんは、枯葉剤を浴びた
ことで発症したのではないか。著者は愛しいし人を失った
悲しみを乗り越え、枯葉剤の影響を映像で残そうとヴェトナム
へ渡る。

そこには枯葉剤の影響で健康被害を受けながらも、必死に
生きようとしている人々がいた。

戦争が終わっても続く被害がある。40代以上の人なら結合
双生児のベトちゃん・ドクちゃんを覚えているだろう。彼らも
枯葉剤の被害者だ。

皮肉なことに枯葉剤散布を推進したアメリカ軍将校の子息
も、枯葉剤の影響で亡くなっている。この将校はアメリカ議会
枯葉剤暴露者の救済を訴えたが、それはアメリカ人のみ
であり、ヴェトナムの人々には一切触れていなかった。

アメリカが他国の武力行使に対して「非人道的だ」と声を
上げる度に思う。あなたたちがインドシナでなったことは
人道的なのか…と。

戦争に良いも悪いもないように、武器に人道的なものなんて
ありゃしないさ。