あまりにも知らな過ぎた

大阪都がダメなら大阪州。

大阪市長の人がまたまた変なことを言い始めた。なんで州?
道州制先取りってこと?

もう大阪自治区でいいんじゃないか。あ、大阪藩とかでもいいよ。
いい加減、妄言は止めて市制に専念したらいかが?

『死刑』(森達也 角川文庫)読了。

2010年8月27日。法務省は時の法相の意向を受けて、小菅の
東京拘置所の刑場をマスコミに公開した。

日本で初めての公開と報道されたので、私もそうなんだろうと
思っていたが本書によると以前にも刑場の様子は公開されて
いたそうだ。

2010年の公開にしても、勿論、取材出来たのは大手メディア
だけ。公開されたのは一部分だけなので完全公開とはならな
かった。

日本での極刑である死刑制度。賛成か反対か。それぞれが
意見を持っているであろうことなのに、詳細については厚い
ベールに包まれていて、あまりにも知らないことが多い。

本書は3年の月日を費やした死刑を巡る旅である。処罰なのか、
それとも国が代行する復讐なのか。

元死刑囚、執行に立ち会ったことある元刑務官、死刑囚と一時を
過ごす教誨師、被害者遺族、元検察官、死刑制度廃止を訴える
国会議員、そして死刑確定囚。

存置か廃止か。取材を続ける著者はさまよう。同じ被害者遺族でも
加害者の極刑を強く望む人もいれば、減刑を求める人もいる。

何故、死刑が必要なのか。死刑には犯罪抑止力があるからとは
長年言われ続けているが、そんなのは方便。抑止力があるのなら、
死刑判決を受けるような犯罪は既に起きないはずだもの。

法務省が隠したいからなのだろう。私たちは死刑があることは
知っているが、死刑についてはあまりにも知らない。本書では
執行に立ち会った元刑務官の話等で、少しはその実態を知り、
考えることが出来る。

存置か、廃止か。多分、明解な答えは出ないのだと思う。だが、
本書を読んで考えることは出来る。

単行本刊行当時、本書には長い副題がついていた。

人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。

奪われていい命はない。命の重さに区別はない。しかし、それは
理想論だ。分かっている。でもやはり、命は命なのだと思う。それ
は他の命で購えるものではないし、ましてや金銭に置き換える
ことなんて出来ない。

裁判員制度が導入されて、死刑判決が増えている。被害者感情
への共鳴の表れなのかもしれない。自分がいつ裁判員になるか
分からぬ今、死刑制度についても考えなくちゃいけないね。