不自由な日本語

客「お前は馬鹿か」
私「はい」
客「…ごめん、言い過ぎた」

そんな会話から仲良くなったお客様がいる。何が気に入られたのか
分からぬが、私が問い合わせを受ける度に世間話になる。

先週も何度か問い合わせを受けた。その時にふと、お客様が漏らした。
「最近さ、何言ってるか分からないオペレーターさん、いるよ」。

うぅ、思い切り思い当たる節があります。問い合わせ内容は分からないが、
オペレーターの話す声は聞こえてくる。そんな時に思う。

「あの説明でお客さん、分かるのか。わたしゃ分からんぞ。うちのお客さん、
レベル高っ!」

でも、分からなかったんだ。よかったよ、私だけじゃなくて。あ…よくは
ないな。簡潔明瞭な説明じゃなきゃ、駄目だもの。

話し言葉と書き言葉がごっちゃになっていたり、言葉の組み立てがバラ
バラだったりすんだよね。なんだろう、あれは。

忙しい時は人の話していることまで耳に入って来ないけれど、暇な時
は聞きたくなくても聞こえて来るのだよな。耳栓、欲しい。

引き続き『私戦』(本田靖春 河出文庫)を読む。

「二人ばかりではなく大方の日本人は、すべてを「時代」という曖昧な
概念に帰して、歴史に対する責任を自己に問い詰めることもなく、
被害者の痛みとはまったく無縁のところで過去を安易に「清算」し、
建前としては申し分のない憲法を免罪符に、もっぱら利己的な経済的
充足を追い求める「平和国家」の道を歩き始めた。
 そして、かなり手ごたえのある分配が行きわたった現在、まるでそれが
民族の優秀性の証明でもあるかのような錯覚に酔って、いまなお断ち切り
がたく過去をひきずり続ける存在に対しては、うとましいものを見るような
眼をしか持たないのである。」

…言葉が、ない。