加害者は全力で否定する

学校の行事で山に登っていた小学生ふたりが下山せず。警察・自衛隊
出て捜索していたところ、自力で下山して来た。まぁ、無事でよかった。

よかったけれど、自ら立ち入り禁止区域に入っていったのだろう。酷な
言い方だが、周囲に迷惑をかけたことをきちんと理解させた方がいい。

もし、最悪の事態になっていたら学校や同行していたガイドさんが
責任を負わされたのだろうから。

アルメニア人ジェノサイド 民族4000年の歴史と文化』(中島偉晴
 明石書店)読了。

アルメニアに興味を持ったのは、好きだったフィギュアスケート
選手のコーチがアルメニア人だったのと、アルメニアの音楽を
使用した演技をしていたから。極めて不純な動機である。

しかし、イタリアだぁ、ロシアだぁ、フランスだぁ、イギリスだぁ、と
それぞれの歴史を勉強していたらものすご〜く後回しになっていた。

黒海カスピ海の間に位置する、南コーカサスの小国がアルメニア
古代アルメニアアルメニア高地を中心にして、商業で栄えた大国
であった。キリスト教をいち早く国教とした国でもある。

しかし、常に相争う他の2国間で引き裂かれて来た国でもある。
ローマ帝国ペルシャオスマン・トルコとペルシャ、そして、
ロシアとペルシャ

本書では古代アルメニアからの歴史と文化を詳細に追い、その果てに
行われたトルコによるアルメニア人大虐殺を丁寧に解説している。

南コーカサスの地名と位置関係を把握するのに四苦八苦した。
地図と首っぴきでなんとか頭に叩き込んだ。

1915年から1916年にかけて、トルコ領内におけるアルメニア人の
強制移住という名の大虐殺は、まるでナチスによるユダヤ人ホロ
コーストのようだ。

文明の川ユーフラテスに、黒海に。はしけに乗せられた大勢の
アルメニア人はそのまま川や海に落とされ溺死させられた。

アルメニア教会に集められた人々は、教会ごと火を付けられ
焼き殺された。女性は暴行の果てに惨殺され、見目麗しい
少女たちはトルコ人の囲い者にされた。

150万人が虐殺されたというジェノサイドだが、トルコ国内では
「そんなこと、してねぇよ」なのだそうだ。疎開させたが、虐殺
はしていない。それがトルコの言い分である。

フランス、ロシア、ドイツ等、ヨーロッパの国々の多くはアルメニア
ジェノサイドを肯定している。トルコ国内でもこのジェノサイドを肯定
する少数派もいる。だが、表だって表明しようものなら裁判に付される。

都合の悪いことはなかったことにする。それどころか、歪曲する。
これは歴史の常なのかもしれない。

尚、トルコ文化と言われている多くのものがアルメニアに端を発する
文化だそうだ。ロシア文化の多くがウクライナ起源なのと似ている
のかな。

忘れられたジェノサイド。南コーカサスでも民族せん滅の歴史が
あったんだ。