海の男たち。いざ、ペルシャ湾へ

「まっとうなことを言っている」

橋下発言を受けての東国原センセイのお言葉。こいつもダメか…。

ペルシャ湾軍艦旗 海上自衛隊掃海部隊の記録』(碇義朗 光人社
読了。

クウェートの油田を俺のものにしてやる」と思ったかは定かではないが、
1990年8月1日、今は亡きサダム・フセインイラクは隣国クウェート
の侵攻を開始した。

湾岸戦争の幕開けである。戦争自体は多国籍軍イラクへの爆撃
「砂漠の嵐作戦」や「砂漠の剣作戦」が功を奏して、あっけない速さ
で収束した。

この湾岸戦争中、「金は出しても人は出さない」と言われて非難された
のが我が日本国である。うぅ…国民一人あたり1万円になる金額を
多国籍軍に拠出したのに…。あ、アメリカはこれをひとり占めしようと
したんだぞ…ブツブツ。

さて、戦争終結後である。お金を出したのにクウェートの「サンクス・
リスト」にも載せてもらえなかった日本。多国籍軍に参加した国々
からも冷たい視線を受ける。

そこで日本政府は決断した。そうだ、自衛隊だ。建前上、軍隊じゃない
から戦闘行動には参加させることは出来なかったけれど、戦後復興の
お手伝いなら出来るっ!

とうに記憶から消えかかっている当時の海部内閣は決断した。イラク
ペルシャ湾にばらまいた機雷除去作業に従事させよう。だって、日本は
中東にエネルギーを依存しているのだも。ペルシャ湾を綺麗にしておか
ないと、日本のタンカーも危険な目に遭うし、「お前らもなんかしろよ」って
騒いでいる他の国々を抑えられるかもしれない。よ〜し、決めたっ!

本書は、海上自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾での機雷除去作業を
追ったドキュメントである。

遠洋航海以外では初となる海外派遣である。訓練では勿論行っている
ことだが、実践となるとプロ集団もいささか勝手が違う。機雷がないに
越したことはないのだが、仲間の掃海艇が既に発見しているのに、
自分の掃海艇だけがひとつも発見出来ないことに焦りを見せる
艇長がいる。

気温の高いなかでの長時間の作業、加えてイラクが火を付けた
油田からの煤煙。隊員たちを悩ませたのはそれだけではない。
ペルシャ湾のハエと蚊は、ちょっとやそっとじゃ死んでくれない。

ハエ叩きとハエ取り紙の需要が高かったって…。大変だったんだ
ろうなぁ。

こんなこぼれ話ばかりではなく、きちんと自衛隊の行動の記録を
追い、隊員たちへのインタビューも豊富だ。

読みようによっては自衛隊礼賛と受け取れるけれど、こういった
活動が国際社会で評価される基準になるんだろうな。

尚、「サンクス・リスト」に日本を入れてくれなかったクウェート
だが、東日本大震災の際には無償で原油を提供してくれて
いる。有難う。