手にしたのは栄光か、敗北か

共同代表がどうしようもないと、所属議員の質も悪いらしい。日本維新の会
「女性の人権を尊重する」と言ったはずだが、西村なんとかという大たわけが
ここに書くのも憚れるようなことを口にした。

もうねぇ…。ばっっっっっっっかじゃないのっ。同僚議員に促されて撤回し、
謝罪会見をしていたがなんの火消しにもならん。

橋下もそうだけれど、問題になって謝罪しても平気で口に出来るというのは
平素、そういう考えを持っているからなんだろう。だから、ポロリと言葉になる。

「日本人の中国での買・春はODAみたいなもの」との過去の橋下の発言も
あるしな。

政治家としてとか以前の問題だ。人間、やめてくれませんか。

おまけ。維新の会の松野のホストのような洋服の着方はどうにかならんか。

『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』(ヨッヘン・ヘムレブ/
ラリー・A・ジョンソン/エリック・R・サイモンスン/ウィリアム・ノースダーフ
構成・文 文藝春秋)読了。

彼は、そこにいた。エヴェレスト北面の8,160m地点。両手を頭の横に
広げ、うつ伏せになったまま75年の時を過ごして来た。

着ていたであろう服はほとんど剥ぎ取られ、剥き出しの肌は色素が抜
けてまるで石膏のよう。

でも、それは紛れもない遺体なのだ。1924年大英帝国がエヴェレスト
初登頂を目指して送り出した遠征隊に参加した登山家、ジョージ・マロリー。
歳若い同行者であるアンドルー・アーヴィンと共に、山頂を目指して山稜
を歩く姿を目撃されたのが最後だった。

あと数時間で、ふたりは戻って来るだろう。目撃者は思った。だが、何時間
待っても再びふたりの姿を見ることはなかった。

大英帝国屈指の登山家であったマロリーは、果たして初登頂を果たした
のか。山岳界に大きな謎を残したマロリーとアーヴィン。本書はふたりの
捜索の為に編成されたアメリカ捜索隊の、マロリー発見と回収した遺品
と当時の資料から登頂の謎を追ったドキュメントである。

1924年のイギリス遠征隊と1999年のマロリー捜索隊の動きが交互に
なっている構成は、山の専門用語には門外漢の私でも興味深く読める。

1975年の中国遠征隊のメンバーが、後に日本人登山家に「イギリス人
の遺体を見た」と語った手掛かりに、マロリーの遺体を発見するくだり
は圧巻だ。

そして、遺体に残っていた服や装備から回収された遺品から、登頂の
有無を推測する手掛かりが得られる。

だが、結局は謎は謎のまま。マロリーが登頂を果たしたという証拠は
ない。そうして、登頂しなかったという証拠もないのだ。

1953年、エヴェレストはエドマンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイ
よって初登頂が達成された。もし、マロリーが持っていたカメラが
見つかれば登頂の有無がはっきりと分かり、歴史は塗り替えられる
かもしれない。

でも、謎は謎のままにしておいたほうが想像が膨らむかもしれない。
マロリーは捜索隊の手で発見された場所に埋葬された。

尚、捜索隊によってエヴェレストで遭難した人たちの遺体が多く
目撃されている。登山も冒険もしないけれど、この遺体の話は
怖かった。涙。